元亀げんき)” の例文
永禄十一年から元亀げんき元年にわたるあいだ、この長い年月、甲州には塩の無い生活が始まっていた。国中、塩攻めになったのである。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ、もし元亀げんき天正てんしょうの頃の日本人に見せたら、この老神父もまた、定めしかのウルガン伴天連の如く見えたことだらうと思ふわけである。
ハビアン説法 (新字旧仮名) / 神西清(著)
それは、元亀げんき天正てんしょう時代に、豊臣秀吉を筆頭として、かず多くの大人物を出した日本としては、なんら、めずらしい事実ではなかったのである。
元亀げんき天正てんしょうの頃からの由緒ある職制だし、一つには藩主の意見で、「悪童的存在も武家気風の支柱として有るほうがよい」
評釈勘忍記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
徳川氏の天下は元亀げんき天正てんしょうの胎内より出で来たりたるものなり。その多事の日において慣例格式たることは無事の日にもまた慣例格式となるものなり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
はじめて唐船からふねがあの長崎の港に来たのは永禄えいろく年代のことであり、南蛮船の来たのは元亀げんき元年の昔にあたる。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
親戚朋友しんせきほうゆうがよろこびを言いに来ると、又七郎は笑って、「元亀げんき天正のころは、城攻め野合せが朝夕の飯同様であった、阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子じゃ」
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
社員しやゐん充満みちみちていづれも豪傑然がうけつぜんたり、機会ときにあたれば気は引立ひきたつものなり、元亀げんき天正てんしやうころなれば一国一城のぬしとなる手柄てがらかたからぬが、きしつゝみ真黒まつくろ立続たちつゞけし人も豪傑然がうけつぜんたり
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
いずれにしても、昔のかたき討は一種の暗殺か、あるいは吊合戦とむらいがっせんといったようなもので、それがいわゆる「かたき討」の形式となって現れて来たのは、元亀げんき天正てんしょう以後のことであるらしい。
かたき討雑感 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
(ニ)さかい本(元亀げんき元年の奥書きあり。伝宸翰本はこれと同系統のもの)の系統
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
くりくり坊主の桃川如燕ももかわじょえんが張り扇で元亀げんき天正てんしょうの武将の勇姿をたたき出している間に、手ぬぐい浴衣ゆかたに三尺帯の遊び人が肱枕ひじまくらで寝そべって、小さな桶形おけがたの容器の中からすしをつまんでいたりした。
銀座アルプス (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
紀州熊野くまのの住人日下くさか六郎次郎が、いにしえ元亀げんき天正のみぎり、唐に流れついて学び帰った拳法けんぽうに、大和やまと島根の柔術やわらを加味くふうして案出せると伝えられる、護身よりも攻撃の秘術なのでした。
家康のこえが大きくひびきわたると共に、列座の人びとは歓声かんせいをあげて立った。ときは元亀げんき三年(一五七二)十二月二十一日黄昏たそがれすぎのことであった。
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
元亀げんき二年のときは宿将勝家かついえが負傷し、氏家卜全うじいえぼくぜんが戦死し、去年の出征には、部将の林新二郎以下たくさんな戦死があるなど、苦杯を喫しつづけて来た敵である。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すべて古式古風な散官遊職は続々廃止されて、西洋陸軍の制度に旗本の士を改造する方針が立てられた。もはや旗本の士は殿様の威儀を捨てて単騎独歩する元亀げんき天正てんしょうの昔に帰った。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
かの元亀げんき天正てんしょうの時代には長曽我部氏ちょうそかべしがほとんど四国の大部分を占領していて、天正十三年、羽柴秀吉の四国攻めの当時には、長曽我部の老臣細川源左衛門尉というのが讃岐方面を踏みしたがえて
こま犬 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
苛烈かれつなる永禄えいろく元亀げんき天正てんしょうの世にかけて、彼女も良人に遅れぬものを日々に学んでいたのである。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元亀げんき、天正とうちつづく戦国時代のことで、彼もまた一国一城の主になる野心をもったのであろう、多くの海賊なかまをひきつれて有明ありあけの海から島原しまばらへと入り、大村領の西岸へ上陸するとともに
伝四郎兄妹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
永禄えいろく元亀げんき、天正へかけての武田、上杉、北条、その他の交戦地であった軍用路を、そのまま後の旅人が往還しているだけで、従って、裏街道も表街道もありはしない。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
摂津茨木いばらきの郷より身を起し、元亀げんき元年、和田伊賀守を討ち、家の子郎党、中川衆の名一つに武門をみがき、ぬる年の山崎の一戦に、明智が将、御牧三左衛門、伊勢三郎貞興さだおきを討ちとるまで
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こういう険悪な空あいのうちに年は暮れて、元亀げんき三年の春は迎えられた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元亀げんき元年、六月二十八日、まだ夜の明けないうちであった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ことしの正月は元亀げんき二年であった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元亀げんき元年となっては。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)