何日いつか)” の例文
ですから何日いつかの何時頃、此処ここで見たから、もう一度見たいといっても、そうはかぬ。川のながれは同じでも、今のは前刻さっきの水ではない。
一寸怪 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「どうしてここにいるのか、僕にもよくわからないのです。なんだか永いあいだねむっていたような気がしますが、きょうは何日いつかなんですか」
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
この男の口からみのるは何日いつかの自分の作を選した眞實ほんたうのもう一人を知つた。それは簑村といふ新らしい作家であつた。
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
それは何時いつ何日いつかに出陳の品に賞が附いて、その賞牌の授与式があるのだということです。しかし、師匠、私なども、賞が附くというようなことを一向知らぬ。
空は何時しか晴れぬ、陰暦の何日いつかなるらん半ば欠けたる月、けやきの巨木、花咲きたらん如き白きこずゑかゝりて、かへりみ勝ちに行く梅子の影を積れる雪の上に見せぬ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
立てると云えば立てるような身上しんじょうだから立てると答えた。するとまた十日ほどしていつ何日いつかの船で馬関から乗るが、好いかと云う手紙が来た。それも、ちゃんと心得た。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
なかなか消えもやらで身に添ふ幻を形見にして、又何日いつかは必ずと念懸おもひかけつつ、雨にも風にも君が無事を祈りて、心はつゆも昔にかはらねど、君が恨を重ぬる宮はここに在り。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
何日いつかのように出さないって言っていらしたくせに、とうとう島までおやりなすった——。
みずうみ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
何時いつ何日いつか頃舞子へおつまといふ婆がお附き申して、御養生にいらツしつた、それはそれはお前よりはよツぽど美しい奥様の、お救ひを戴いたといふ事をね。きつと忘れないで話すんだよ。
磯馴松 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
けふりをいてみゝつればをりから此室こゝのきばにうつりて妻戀つまごひありくねここゑ、あれはたまではるまいか、まあ此霜夜このしもよ屋根傳やねづたひ、何日いつかのやうなかぜひきにりてるしさうなのどをするのでらう
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
生活の事も思はずに、斯うして藝術に遊ばう遊ばうとする女の心持が、又何日いつかのやうに憎まれだした。
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
寒い日の朝、雨の降ってる時、私の小さな時分、何日いつかでしたっけ、窓から顔を出して見ていました。
化鳥 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
すると女は始めて女らしい表情をおもてたたえて、すがりつくように父をとめた。そうしていつ何日いつかどこで○○が自分を見たのかと聞いた。父は例の有楽座の事を包みかくさず盲人もうじんに話して聞かせた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
今は漁人となって余命を送るといえども、何日いつかは身の罪をあがのうて再び
鬼桃太郎 (新字新仮名) / 尾崎紅葉(著)
湿ったページを破けないように開けて見て、始めて都には今洪水こうずい出盛でさかっているという報道を、あざやかな活字の上にまのあたり見たのは、何日いつかの事であったか、今たしかには覚えていないけれども
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いま漁人ぎよじんとなつて餘命よめいおくるといへども、何日いつかつみあがなうてふたゝ
鬼桃太郎 (旧字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)