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おうめ
ふりがな文庫
“
青梅
(
おうめ
)” の例文
おれの青梅と眼がついたな、あの
金襴
(
きんらん
)
織りの守り袋からだよ。ありゃ
青梅
(
おうめ
)
金襴といってな、ここの宿でなきゃできねえ
高値
(
こうじき
)
なしろものさ。
右門捕物帖:15 京人形大尽
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
八王子、所沢、
青梅
(
おうめ
)
、
飯能
(
はんのう
)
、村山とほとんど隣同志でも、八王子は絹の
節織
(
ふしおり
)
を主にし、村山は
絣
(
かすり
)
を
専
(
もっぱ
)
らにするという
工合
(
ぐあい
)
です。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
朝、
青梅
(
おうめ
)
街道の入口の飯屋へ行った。熱いお茶を呑んでいると、ドロドロに汚れた労働者が駈け込むように這入って来て
新版 放浪記
(新字新仮名)
/
林芙美子
(著)
「
青梅
(
おうめ
)
の
博労
(
ばくろう
)
さんも話していた。昨日だったか、甲州から来た飛脚屋も、その通り魔に殺されかかったという話だったよ」
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その娘の島田に結っている
鬢
(
びん
)
付きから襟元から、
四入
(
よつい
)
り
青梅
(
おうめ
)
の
単衣
(
ひとえもの
)
をきている後ろ姿までがかれと寸分も違わないので、西岡はすこし不思議に思った。
離魂病
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
▼ もっと見る
昔四谷通は新宿より
甲州
(
こうしゅう
)
街道また
青梅
(
おうめ
)
街道となり、青山は
大山
(
おおやま
)
街道、巣鴨は板橋を経て
中仙道
(
なかせんどう
)
につづく事江戸絵図を見るまでもなく人の知る所である。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
根岸の
御行
(
おぎょう
)
の松の下の、神尾主膳の新屋敷の一間で、
青梅
(
おうめ
)
の裏宿の七兵衛が、しきりに
気障
(
きざ
)
な
真似
(
まね
)
をしています。
大菩薩峠:24 流転の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
青梅
(
おうめ
)
街道を志して自分で地図を見ながら、地理を知らぬ運転手を案内して進行したが、どこまで行ってもなかなか田舎らしい田舎へ出られないのに驚いた。
異質触媒作用
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
妬
(
ねた
)
み深い女房の魂が化してこの鳥と成ったという説があり、一方には東京近くの
青梅
(
おうめ
)
・八王子あたりの田舎では、
継子
(
ままこ
)
のひがみから疑って弟を殺したと称して
野草雑記・野鳥雑記:02 野鳥雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
甲州方面から武州へ入るには、大菩薩峠を越し丹波川に添い、
青梅
(
おうめ
)
から
扇町谷
(
おおぎまちや
)
、
高萩村
(
たかはぎむら
)
から
阪戸宿
(
さかどじゅく
)
、高阪宿と辿って行くのをもって、まず順当としてよかった。
剣侠
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
小さな停車場で汽車を待ち合わせている
中
(
うち
)
、何となく
青梅
(
おうめ
)
街道でも旅しているような気がしていた。
スウィス日記
(新字新仮名)
/
辻村伊助
(著)
立川で
青梅
(
おうめ
)
線に乗り換えて羽村で下りた。生えはじめたばかりの麦畑や枝の芽吹いていない桑畑が見えて、まだ雪の消えずに残っている武甲の
山脈
(
やまなみ
)
が眼に迫ってくる感じだった。
西隣塾記
(新字新仮名)
/
小山清
(著)
青梅
(
おうめ
)
などの村々をまわって歩き、名主の家の広座敷やお寺の本堂などで、
説教節
(
せっきょうぶし
)
にあわせて、『
石童丸
(
いしどうまる
)
』『
出世景清
(
しゅっせかげきよ
)
』『
牡丹灯籠
(
ぼたんどうろう
)
』『四谷怪談』などの写し絵をうつして見せる。
顎十郎捕物帳:15 日高川
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
私
(
わたくし
)
のような
穢
(
きたな
)
い
衣服
(
きもの
)
は南部で出来た表に、
青梅
(
おうめ
)
飯能
(
はんのう
)
辺
(
へん
)
で出来ました裏を附けますと一対の夫婦で、表は亭主裏は女房ですから、折目正しく
整然
(
ちゃアん
)
としていれば一対の夫婦でございますが
塩原多助一代記
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
それを
青梅
(
おうめ
)
の
裏宿
(
うらじゅく
)
まで追い込んで、そこで姿を見失ってしまったが、どうもこの沢井あたりへ逃げ込んだにちげえねえということで、今日のお
正午
(
ひる
)
ごろ
大菩薩峠:26 めいろの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「おれも明日は、金を持って、
青梅
(
おうめ
)
へ帰らなくっちゃならねえが、その話を聞いて、いやな気持がしてしまった。だれか、青梅へ帰る道づれはねえかしら」
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
御承知の通り、ここは
青梅
(
おうめ
)
街道の入口で、新宿の追分から角筈、柏木、成子、淀橋という道順になるんですが、昔もなかなか賑やかな土地で、近在の江戸と云われた位でした。
半七捕物帳:50 正雪の絵馬
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「おまえたちもあとのに乗ってきな。——おい、駕籠屋、行く先は
青梅
(
おうめ
)
の宿だぞ!」
右門捕物帖:15 京人形大尽
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
「坂田省吾って、
青梅
(
おうめ
)
の奥で清浄野菜をやっている、あの坂田省吾のことかしら」
あなたも私も
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
東京都下では八王子、
青梅
(
おうめ
)
、村山の如き、そのやや北には埼玉県の
秩父
(
ちちぶ
)
更に
溯
(
さかのぼ
)
って群馬県の伊勢崎や
桐生
(
きりゅう
)
。そこから右に折れて栃木県の
足利
(
あしかが
)
や佐野、更に東すると茨城県の
結城
(
ゆうき
)
があります。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
青梅
(
おうめ
)
の裏宿の七兵衛は、この時分、裏宿の家におさまって、雨降り仕事に、土間へむしろを敷いて、
藁
(
わら
)
を打って、しきりに
草鞋
(
わらじ
)
をこしらえておりました。
大菩薩峠:22 白骨の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
同じように、
浦和
(
うらわ
)
の馬市へ
夜半
(
よなか
)
から立って来た
青梅
(
おうめ
)
の
博労
(
ばくろう
)
連も、意気地なく馬をすてて逃げ散りました。
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そうでございまいます。
四
(
よつ
)
入り
青梅
(
おうめ
)
の片袖で、潮水にぬれては居りますが、色合いも縞柄も確かに相違ございません。おかみさんもそれに相違ないと申しまして、品川の人には相当の礼を
半七捕物帳:49 大阪屋花鳥
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
その時分、
青梅
(
おうめ
)
の裏宿の七兵衛は、例の怪足力で出羽奥州の広っ原のまんなかを、真一文字に歩いていたのです。
大菩薩峠:37 恐山の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「
陽
(
ひ
)
の暮までに、
青梅
(
おうめ
)
までつきたいが」
野槌の百
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ここで話題にのぼったのはお松のことで、そのお松は、ちょうどその日のその時分は、
青梅
(
おうめ
)
の町はずれを、武蔵野の広い原へ向けて馬を歩ませておりました。
大菩薩峠:26 めいろの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
その沿線立川駅から分岐して
青梅
(
おうめ
)
鉄道という軽便が出来たのは明治二十七年の十一月ということである、丁度日清戦争の最中であって、百姓弥之助はその時漸く十歳であった。
百姓弥之助の話:01 第一冊 植民地の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
青梅
(
おうめ
)
の町の坂下というところに、近い頃まで「七兵衛地蔵」というのがあった、それは七兵衛が盗んで来た金を、夜な夜なそこへ埋めておいた。七兵衛が斬られて後、掘り出された。
大菩薩峠:03 壬生と島原の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
武州八王子の
宿
(
しゅく
)
から小仏、笹子の険を越えて甲府へ出る、それがいわゆる甲州街道で、一方に新宿の
追分
(
おいわけ
)
を右にとって
往
(
ゆ
)
くこと十三里、武州
青梅
(
おうめ
)
の宿へ出て、それから山の中を甲斐の
石和
(
いさわ
)
へ出る
大菩薩峠:01 甲源一刀流の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
砂川村に俗に「おてんとうさま」という荷車
挽
(
ひ
)
きがあった、本名は時蔵というのであるが、この人は砂川の村から
青梅
(
おうめ
)
の町まで約四里の道を毎日毎日降っても照っても荷車にカマスを積んで往復する。
百姓弥之助の話:01 第一冊 植民地の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
青
常用漢字
小1
部首:⾭
8画
梅
常用漢字
小4
部首:⽊
10画
“青梅”で始まる語句
青梅宿
青梅縞
青梅街道
青梅屋
青梅綿
青梅道
青梅院
青梅街道口