青梅おうめ)” の例文
おれの青梅と眼がついたな、あの金襴きんらん織りの守り袋からだよ。ありゃ青梅おうめ金襴といってな、ここの宿でなきゃできねえ高値こうじきなしろものさ。
八王子、所沢、青梅おうめ飯能はんのう、村山とほとんど隣同志でも、八王子は絹の節織ふしおりを主にし、村山はかすりもっぱらにするという工合ぐあいです。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
朝、青梅おうめ街道の入口の飯屋へ行った。熱いお茶を呑んでいると、ドロドロに汚れた労働者が駈け込むように這入って来て
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
青梅おうめ博労ばくろうさんも話していた。昨日だったか、甲州から来た飛脚屋も、その通り魔に殺されかかったという話だったよ」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その娘の島田に結っているびん付きから襟元から、四入よつい青梅おうめ単衣ひとえものをきている後ろ姿までがかれと寸分も違わないので、西岡はすこし不思議に思った。
離魂病 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
昔四谷通は新宿より甲州こうしゅう街道また青梅おうめ街道となり、青山は大山おおやま街道、巣鴨は板橋を経て中仙道なかせんどうにつづく事江戸絵図を見るまでもなく人の知る所である。
根岸の御行おぎょうの松の下の、神尾主膳の新屋敷の一間で、青梅おうめの裏宿の七兵衛が、しきりに気障きざ真似まねをしています。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
青梅おうめ街道を志して自分で地図を見ながら、地理を知らぬ運転手を案内して進行したが、どこまで行ってもなかなか田舎らしい田舎へ出られないのに驚いた。
異質触媒作用 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ねたみ深い女房の魂が化してこの鳥と成ったという説があり、一方には東京近くの青梅おうめ・八王子あたりの田舎では、継子ままこのひがみから疑って弟を殺したと称して
甲州方面から武州へ入るには、大菩薩峠を越し丹波川に添い、青梅おうめから扇町谷おおぎまちや高萩村たかはぎむらから阪戸宿さかどじゅく、高阪宿と辿って行くのをもって、まず順当としてよかった。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
小さな停車場で汽車を待ち合わせているうち、何となく青梅おうめ街道でも旅しているような気がしていた。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
立川で青梅おうめ線に乗り換えて羽村で下りた。生えはじめたばかりの麦畑や枝の芽吹いていない桑畑が見えて、まだ雪の消えずに残っている武甲の山脈やまなみが眼に迫ってくる感じだった。
西隣塾記 (新字新仮名) / 小山清(著)
青梅おうめなどの村々をまわって歩き、名主の家の広座敷やお寺の本堂などで、説教節せっきょうぶしにあわせて、『石童丸いしどうまる』『出世景清しゅっせかげきよ』『牡丹灯籠ぼたんどうろう』『四谷怪談』などの写し絵をうつして見せる。
顎十郎捕物帳:15 日高川 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
わたくしのようなきたな衣服きものは南部で出来た表に、青梅おうめ飯能はんのうへんで出来ました裏を附けますと一対の夫婦で、表は亭主裏は女房ですから、折目正しく整然ちゃアんとしていれば一対の夫婦でございますが
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
それを青梅おうめ裏宿うらじゅくまで追い込んで、そこで姿を見失ってしまったが、どうもこの沢井あたりへ逃げ込んだにちげえねえということで、今日のお正午ひるごろ
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「おれも明日は、金を持って、青梅おうめへ帰らなくっちゃならねえが、その話を聞いて、いやな気持がしてしまった。だれか、青梅へ帰る道づれはねえかしら」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御承知の通り、ここは青梅おうめ街道の入口で、新宿の追分から角筈、柏木、成子、淀橋という道順になるんですが、昔もなかなか賑やかな土地で、近在の江戸と云われた位でした。
半七捕物帳:50 正雪の絵馬 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「おまえたちもあとのに乗ってきな。——おい、駕籠屋、行く先は青梅おうめの宿だぞ!」
「坂田省吾って、青梅おうめの奥で清浄野菜をやっている、あの坂田省吾のことかしら」
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
東京都下では八王子、青梅おうめ、村山の如き、そのやや北には埼玉県の秩父ちちぶ更にさかのぼって群馬県の伊勢崎や桐生きりゅう。そこから右に折れて栃木県の足利あしかがや佐野、更に東すると茨城県の結城ゆうきがあります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
青梅おうめの裏宿の七兵衛は、この時分、裏宿の家におさまって、雨降り仕事に、土間へむしろを敷いて、わらを打って、しきりに草鞋わらじをこしらえておりました。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
同じように、浦和うらわの馬市へ夜半よなかから立って来た青梅おうめ博労ばくろう連も、意気地なく馬をすてて逃げ散りました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうでございまいます。よつ入り青梅おうめの片袖で、潮水にぬれては居りますが、色合いも縞柄も確かに相違ございません。おかみさんもそれに相違ないと申しまして、品川の人には相当の礼を
半七捕物帳:49 大阪屋花鳥 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その時分、青梅おうめの裏宿の七兵衛は、例の怪足力で出羽奥州の広っ原のまんなかを、真一文字に歩いていたのです。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
の暮までに、青梅おうめまでつきたいが」
野槌の百 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここで話題にのぼったのはお松のことで、そのお松は、ちょうどその日のその時分は、青梅おうめの町はずれを、武蔵野の広い原へ向けて馬を歩ませておりました。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その沿線立川駅から分岐して青梅おうめ鉄道という軽便が出来たのは明治二十七年の十一月ということである、丁度日清戦争の最中であって、百姓弥之助はその時漸く十歳であった。
青梅おうめの町の坂下というところに、近い頃まで「七兵衛地蔵」というのがあった、それは七兵衛が盗んで来た金を、夜な夜なそこへ埋めておいた。七兵衛が斬られて後、掘り出された。
武州八王子の宿しゅくから小仏、笹子の険を越えて甲府へ出る、それがいわゆる甲州街道で、一方に新宿の追分おいわけを右にとってくこと十三里、武州青梅おうめの宿へ出て、それから山の中を甲斐の石和いさわへ出る
砂川村に俗に「おてんとうさま」という荷車きがあった、本名は時蔵というのであるが、この人は砂川の村から青梅おうめの町まで約四里の道を毎日毎日降っても照っても荷車にカマスを積んで往復する。