那智なち)” の例文
文覚もんがくとかいって、去年こぞの秋、熊野権現に、百日荒行あらぎょうの誓願を立てて、毎日、那智なちの滝つぼで、滝に打たれていたとか、申すことですが
旭山の向うから、第二艦隊の『愛宕あたご』『高雄たかお』『那智なち』『妙高みょうこう』が出て来る。はるか遠くを水雷戦隊が進んで行く。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
謀叛僧文覚もんがく荒行あらぎょうをやった那智なち大瀑おおだき永久えいきゅうみなぎり落つ処、雄才ゆうさい覇気はきまかり違えば宗家そうかの天下をひともぎにしかねまじい南竜公なんりゅうこう紀州きしゅう頼宣よりのぶが虫を抑えて居た処
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
那智なちには勝浦かつうらから馬車に乗つて行つた。昇り口のところに著いたときに豪雨が降つて来たので、そこでしばらく休み、すつかり雨装束あましやうぞくに準備して滝の方へ上つて行つた。
遍路 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
わしがあの奥深い森を選んだのは、あたりの様子がどことなしに那智なち御山みやまに似ているからです。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
かん倉山くらやまを拝み、明日あすかの社に拝礼し、那智なちの山にのぼった。数千丈の高さから、白いしぶきを散らしながら落ちてくる那智の滝には、心をつらぬくきびしさがこめられている。
それは二十歳はたちにはだ足りない美しい女と、十四五の稚児髷ちごまげに結うたともの少女とであった。女は那智なちへ往っての帰りだと云った。豊雄は女の美に打たれて借りて来た傘を貸してやった。
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
都のものにてもあらず、此の近き所に年来としごろ住みこしはべるが、けふなんよき日とて五四那智なちまうで侍るを、にはかなる雨の恐ろしさに、やどらせ給ふともしらで、五五わりなくも立ちよりて侍る。
日本艦隊の加古かこ古鷹ふるたか衣笠きぬがさ以下の七千トン巡洋艦隊は、その快速を利用し、那智なち羽黒はぐろ足柄あしがら高雄たかお以下の一万噸巡洋艦隊と、並行の単縦陣型たんじゅうじんけいを作って、刻々こくこくに敵艦隊の右側うそくねらって突き進んだ。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
神にませばまことうるはし那智なちの滝
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
月を浮ぶる那智なちの海
花守 (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
那智なちには勝浦かつうらから馬車に乗って行った。昇り口のところにいたときに豪雨が降って来たので、そこでしばらく休み、すっかり雨装束あましょうぞくに準備して滝の方へ上って行った。
遍路 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
愛宕あたご』『高尾たかお』『摩耶まや』『鳥海ちょうかい』『那智なち』級四隻もいる。『加古かこ』もいる。『青葉あおば』もいる。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
その茶寮の縁先からは、遠からぬ所の御行おぎょうの松が、夜の空を摩してのぞまれますし、広い庭は、雪見燈籠ゆきみどうろう空堀からぼり那智なち石も、落葉にまって冬ざれの霜の荒れにまかせてあります。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
成経 しかしここは紀州ではなし、那智なちの滝もないではありませんか。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
年を経て再び那智なちの滝に来し
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
其処に夕がたまでゐてO先生と別れ三人は那智なちの方に行く汽船に乗つたのであつた。
仏法僧鳥 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
文覚は、まだ十九の頃に、若いもとどりを切って、大峰おおみね葛城かつらぎ粉河こかわ戸隠とがくし、羽黒、そしてまた那智なち千日籠せんにちごもりと、諸山の荒行を踏んできた、その昔の遠藤武者えんどうむしゃ盛遠が成れの果てであった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)