あわただ)” の例文
ところが、あわただしい旅の仕度が整うにつれ、かの女は、むす子の落着いた姿と見較みくらべて憂鬱ゆううつになり出した。とうとうかの女はいい出した。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
あわただしさ、草から見れば涙である。然し油断してうっかり種をこぼされたら、事である。一度落した草の種は中々急にり切れぬ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
そのあわただしさ、幸福を二人の手の間からとり落すまいと、互に扶け合って時を惜しむ営みの姿のなかには、涙ぐまれる眺めがある。
あわただしく出入する御同朋頭どうぼうがしらや御部屋坊主たちも、みんなあおずんだ顔をしていたし、往来する老中、若年寄の人々も落着きのない眼を光らせていた。
城中の霜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
あわただしい将官たちのとソビエットに挟まれた夕闇ゆうやみの底に横たわりながら、ここにも不可解な新時代はもう来ているのかしれぬと梶は思った。
微笑 (新字新仮名) / 横光利一(著)
発表されてから一ト月ほどの予猶など、瞬く間に過ぎてしまって、ただわけもなくあわただしさの中に、若い所員たちがゴソッと立って行ってしまった感じだった。
宇宙爆撃 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
こは浜方より運送の多寡、かつ諸方への出入り勘定、みなことごとく帳に託す。しかればかの帳はわが家産しんだいなるを、あわただしき騒ぎに紛れ、焼き失いしやふつにみえず。
門衛あわただしく遮って、「こらこら、ここは寺院てらじゃないぞ。今日葬式とむらいのあるなあ一町ばかり西の方だ。」
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
面長の美人であるが、蒼白で、痩せ衰へて、この年齢まで持ちこたへてきた花やかさがあわただしげに失せやうとし、日毎に老ひ込むやうであつた。陰鬱な日は、顳顬こめかみに大きな膏薬を貼つてゐた。
松王様とはつい昨年の八月に猛火みょうかのなかであわただしいお別れを致すまで、ものの十八年ほどの長い年月を、陰になり日向ひなたになり断えずおとり申上げるようなめぐり合せになったのでございます。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
近い会場の浮立った動揺どよめきが、ここへもあわただしい賑かしさを漂わしていた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
『じゃ、子供さえ取返せばいいんですな』とルパンはあわただしく訊ねた。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
主婦はあわただしく鍋と火鉢と牝鶏と卵子二つを持って来た。
主婦はあわただしく鍋と火鉢と牝鶏と卵子二つを持って来た。
気まずい沈黙を破って、廊下をあわただしい足音。
判官三郎の正体 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
そして、二言三言佐々と話し、伸子に遠くから挨拶すると、あわただしく気取って出て行った。佐々は戸口までその男を見送った。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
銃猟は面白いものであろう。然しあのあわただしい羽音と、小さな心臓しんぞう破裂はれつせんばかり驚きおびえた悲鳴を聞いては……
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
良人おっとに連れられて外遊する船がナポリに着いた時、行き違ひに出て行かうとする船に乗り込むあわただしいかの女に、埠頭ふとうでぱつたり出遭であつて、わずかにおたがいに手を握つた。
過去世 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
そうして何時か黄昏たそがれの迫ったあわただしい街に出ると、周囲のでかでかしいネオンサインの中に“ツリカゴ”と淡く浮くちっぽけなネオンを、いじらしくさえ思うのであった。
孤独 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
去っていった女のあわただしい立ちざまを示すかのようだ。彼は手枕をして横になり、眼をつむった。
(新字新仮名) / 山本周五郎(著)
松王様とはつい昨年の八月に猛火みょうかのなかであわただしいお別れを致すまで、ものの十八年ほどの長い年月を、陰になり日向ひなたになり断えずおとり申上げるやうなめぐり合せになつたのでございます。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
安宿でもない、さりとて普通ではないこの二階のあわただしい空気が、今朝からお茂登のふれて来たあらゆるところに漲っていて、落付けないのであった。
その年 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
あわただしい街の中をせかせか歩きながら、あの奇妙な『偶然』を幾度も幾度も反芻していました。
歪んだ夢 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
あわただしく寺へ出入りする人の足音や、急にひっそりしたかと思うと、にわかにののしり喚く声などが、昏沌こんとんとした俊恵の意識をときどき現実へひき戻した、だがそれを不審に思うゆとりはなかった
荒法師 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ヴィンダー(熱心に)違う! あわただしい、わくわくした、嵐のような歓びのそよぎだ——ほら! 来るぞ。来るぞ。
対話 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
やがて、岩ヶ根のぱなが、行く手を遮って、黒々と、闇に浮出して来た。その蒼黒い巨大な虫を思わせる峰には、最初の日、見たような、くすんだ朱の火星が、チカチカとあわただしく、またたいていた。
鉄路 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
都会のあわただしさや早老を厭わしく思った時、藤村は心に山を描いた。幼心に髣髴ほうふつとした山々を。故郷の山を。
藤村の文学にうつる自然 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
れんのあわただしい今にも何かにつき当りそうなせき込んだはい、はいの連発ではない。
或る日 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
そういう一つのあわただしい夕方、雄鳩は独り家に入った。人気なく、部屋への障子が開け放されている。彼は飢を感じた。麦のある戸棚の方へ飛び立った時、雄鳩は再び見た、忘れぬもう一つの鳩を。
白い翼 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
すると、女房があわただしく水口から覗いて
牡丹 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)