近畿きんき)” の例文
ここは山陽と近畿きんき咽喉のどにあたる要害の地であったが、当時はまだ後に姫路城と称されたあの壮大な景観は備えていなかったのである。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あの恐ろしい函館はこだての大火や近くは北陸地方の水害の記憶がまだなまなましいうちに、さらに九月二十一日の近畿きんき地方大風水害が突発して
天災と国防 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ちなみに、こうした景趣の村は関西地方に多く、奈良、京都の近畿きんきでよく見かける。関東附近の村は全体に荒寥こうりょうとして、この種の南国的な暖かい情趣に乏しい。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
ここで近畿きんき地方というのは便宜上、京都や大阪を中心に山城やましろ大和やまと河内かわち摂津せっつ和泉いずみ淡路あわじ紀伊きい伊賀いが伊勢いせ志摩しま近江おうみの諸国を包むことと致しましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
そこにそばだっている鷲峰山は標高はようやく三千尺に過ぎないが、巉岩ざんがん絶壁をもって削り立っているので、昔、えん小角おづぬが開創したといわれている近畿きんきの霊場の一つである。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
元より民の疾苦しつくを顧みるの入道ならねば、野に立てる怨聲を何處いづこの風とも氣にかけず、或は嚴島行幸に一門の榮華を傾け盡し、或は新都の經營に近畿きんきの人心を騷がせて少しも意に介せず。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
近畿きんきとその周囲の諸県でケンズイという語は、『閑田耕筆かんでんこうひつ』にもすでに注意しているごとく、「間食」の呉音ごおんであって寺家から出た言葉らしいが、是を東国の小昼飯の意味に農村では用いており
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
平井山の陣中にある秀吉のその後を考え、信長の立場、近畿きんきのうごき、西国の情勢、東国の動静など、限りもなく想像にのぼってくる。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
泉州さぎノ森の本願寺一門、伊賀上野の筒井順慶つついじゅんけい、山陰の細川藤孝ほそかわふじたか、その子忠興ただおきなどの親族から、近畿きんきのこれと思う有力者には、ことごと飛檄ひげきした。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これが——海を隔てた阿波あわ、四国の三好党と結びついたり、将軍義昭よしあきの弱点をうまくそそのかしたり、近畿きんきや堺の町人に悪宣伝をまいたり、一揆いっききつけたり
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのほか飛び飛びに近畿きんきから東北まで、いわば野火か山火事のように、ここを消せばかしこ、そこを叩けば彼方で、といったような全土全面のいぶりであった。
本願寺と通じては、本願寺からかねを取り、近畿きんきの不平分子を使嗾しそうしては、時々、信長の裏を掻く。そして気配がわるければ、それをなだめて、自分の功とする。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なおがえんぜぬ近畿きんきの大小名を一個一個討って行っても、また東海方面の安定を得ても、甲山陸の強豪を亡ぼし尽しても、結局、それを以て、満足とはいえません。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近畿きんきにも、丹波、丹後にも、たのむ味方は次々と倒れてしまい、いまは織田氏の圧力を、全面的、直接に受けもし防ぎもしなければならない立場を余儀なくされて来た。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今頃はもう洛中近畿きんきにわたる残兵の掃討そうとうから、戦後の布令まで掲示し終っていた時分であったのだ。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近畿きんきの諸将はあらかた会し、毛利輝元も代参をのぼせているが、柴田勝家翼下よっかの前田、佐々、金森、徳山の諸将、また神戸信孝一類の滝川以下、みな云いあわせたように、上洛もしなかった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今もって、悪業あくごうぎょうとし、京都を中心に近畿きんきいったいをあらし廻る浄土の賊天城四郎のにえにさせてなろうかと、相手の正体を見、被害者の傷々いたいたしい姿を見ると、彼の怒りはいやが上にも燃えて
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近畿きんきの人心は、本能寺以来の動揺を、今なおそのまま抱いていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、近畿きんきの一大将に配すなど手順も万端できていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)