もてあそ)” の例文
結局は甲冑の如く床の間に飾られ、弓術の如く食後の腹ごなしにもてあそばれ、烏帽子えぼし直垂ひたたれの如く虫干むしぼしに昔しをしのぶ種子となる外はない。
書画や骨董をもてあそぶのは何よりのたのしみだという人もあろうが主人一人のなぐさみで妻君や家族は一向書画の趣味を解せん。してみると主人一人の翫具おもちゃだ。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
我等はあづまやに入りて、當壚たうろの女をして良酒を供せしめ、續けさまに數杯を傾けて、此自然の活劇をもてあそべり。忽ちポツジヨの聲を放ちて歌ふを聞きつ。
万宝もこんな美人をそのまま置いては留守に家を乱さるるからこれを宮して謀反の道を断って思うままにもてあそんだのだ。
抽斎は鑑賞家として古画をもてあそんだが、多く買い集むることをばしなかった。谷文晁たにぶんちょうおしえを受けて、実用の図を作る外に、往々自ら人物山水をもえがいた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
花には花にろうせられざるもの誰ぞ、月には月にもてあそばれざるもの誰ぞ、風狂も亦た一種の変調子、風狂も亦た一種の変調子なりとせば、人間いかにして変調子ならざる事を得む。
富嶽の詩神を思ふ (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
叔父さんを無事に連れ帰るのは誰でもいいが、このままにしておいては奸佞かんねい邪智の秋山男爵だ、この上如何なる悪計を持って我らを苦しめ、かつ鳩のような月子さんをもてあそぶか知れない。
月世界競争探検 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
而れども是れが青年田口の作なりしことを思ひ、吾人が猶田舎に於て紙鳶たこを飛ばし、独楽こまもてあそびつゝありし時に於て作られし著述なることを思へば非難の情は愛翫の情に打勝れざるを得ず。
明治文学史 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
『松塘詩鈔』に「鷲津文郁ノ野島碕のじまざきニ遊ンデ月ヲもてあそブヲ送ル。」また「鷲津文郁ノ都ニ帰ルヲ送ル。兼テ大沼子寿横山舒公ニ寄ス。」また「那山寺ノ閣ニ上リ重テ文郁ヲ送ル。」と題した作がある。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「文筆詩歌」等もまた「せんなき事なれば捨つべき」ものである。法の悟りを得んとするものに美言佳句が何の役に立とう。美言佳句に興ずるごときものは「ただ言語ごんごばかりをもてあそんで理を得べからず」
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
で、破壊しては新たに建直し、建直してはた破壊し丁度児供こども積木つみきもてあそぶように一生を建てたりこわしたりするに終った。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
書物の外で、主人の翁のもてあそんでゐるのは、小さい Loupeルウペ である。砂の山から摘んで来た小さい草の花などを見る。その外 Zeissツアイス の顕微鏡がある。
妄想 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その女子の意志の自由にゆだぬといへど、そは只だ掟の上の事のみにて、まことは幼きより尼のよそほひしたる土偶にんぎやうもてあそばしめ、又寺に在る永き歳月の間世の中の罪深きを説きてはおどしすかし
狩谷棭斎の古泉癖こせんへきは世の知る所である。「歴代古泉貨幾百品。自幼之時愛玩之。或遇清間興適。攤列𤗉間品評之。」其子懐之くわいし、其忘年の友渋江抽斎も亦古泉をもてあそんだ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
耽古者流のもてあそぶところとなるには至りしなり。
盆栽をもてあそんでいる時もその通りである。茶をすすっている時もその通りである。
カズイスチカ (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そして意外にも、わずかに二歳であった保さんが、父に「武鑑」をもらってもてあそんだということを聞いた。それは出雲寺板いずもじばんの「大名だいみょう武鑑」で、鹵簿ろぼの道具類に彩色を施したものであったそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかるに奇とすべきは、その人が康衢こうく通逵つうきをばかり歩いていずに、往々こみちって行くことをもしたという事である。抽斎は宋槧そうざんの経子をもとめたばかりでなく、古い「武鑑」や江戸図をももてあそんだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「昨夜風自北。月泝走雲行。時当雲断処。光彩一倍生。」かくて十五夜に至ると、天は全く晴れて、ちとくもりの月の面輪を掠むるものだに無かつたので、茶山は夜もすがら池をめぐつて月をもてあそんだ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)