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直江津
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なほえつ
ふりがな文庫
“
直江津
(
なほえつ
)” の例文
日
(
ひ
)
一杯
(
いつぱい
)
……
無事
(
ぶじ
)
に
直江津
(
なほえつ
)
へ
上陸
(
じやうりく
)
したが、
時間
(
じかん
)
によつて
汽車
(
きしや
)
は
長野
(
ながの
)
で
留
(
と
)
まつた。
扇屋
(
あふぎや
)
だつたか、
藤屋
(
ふぢや
)
だつたか、
土地
(
とち
)
も
星
(
ほし
)
も
暗
(
くら
)
かつた。
麻を刈る
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
わたしは
丁度
(
ちやうど
)
十二の時に修学旅行に
直江津
(
なほえつ
)
へ
行
(
ゆ
)
きました。(わたしの小学校は信州の×と云ふ町にあるのです。)
貝殻
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
道
(
みち
)
は
違
(
ちが
)
ふが——
話
(
はなし
)
の
次
(
つい
)
でだ。
私
(
わたし
)
も
下街道
(
しもかいだう
)
を、
唯
(
たゞ
)
一度
(
いちど
)
だけ、
伏木
(
ふしき
)
から
直江津
(
なほえつ
)
まで
汽船
(
きせん
)
で
渡
(
わた
)
つた
事
(
こと
)
がある。
麻を刈る
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
私
(
わたし
)
は
佐渡
(
さど
)
と
云
(
い
)
ふ
所
(
ところ
)
は、
上野
(
うへの
)
から
碓氷
(
うすひ
)
を
越
(
こ
)
えて、
雪
(
ゆき
)
の
柏原
(
かしはばら
)
、
關山
(
せきやま
)
、
直江津
(
なほえつ
)
まはりに
新潟邊
(
にひがたへん
)
から、
佐渡
(
さど
)
は
四十五里
(
しじふごり
)
波
(
なみ
)
の
上
(
うへ
)
、と
見
(
み
)
るか、
聞
(
き
)
きかするものだ、と
浮
(
うつか
)
りして
居
(
ゐ
)
た。
城崎を憶ふ
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
處
(
ところ
)
で
汽船
(
きせん
)
は——うそだの、
裏切
(
うらぎ
)
つたのと、
生意氣
(
なまいき
)
な
事
(
こと
)
を
言
(
い
)
ふな。
直江津
(
なほえつ
)
まで、
一人前
(
いちにんまへ
)
九錢也
(
きうせんなり
)
。……
明治二十六七年頃
(
めいぢにじふろくしちねんごろ
)
の
事
(
こと
)
とこそいへ、それで、
午餉
(
ひる
)
の
辨當
(
べんたう
)
をくれたのである。
麻を刈る
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
▼ もっと見る
上野
(
うへの
)
の
汽車
(
きしや
)
最後
(
さいご
)
の
停車場
(
ステエシヨン
)
に
達
(
たつ
)
すれば、
碓氷峠
(
うすひたうげ
)
の
馬車
(
ばしや
)
に
搖
(
ゆ
)
られ、
再
(
ふたゝ
)
び
汽車
(
きしや
)
にて
直江津
(
なほえつ
)
に
達
(
たつ
)
し、
海路
(
かいろ
)
一文字
(
いちもんじ
)
に
伏木
(
ふしき
)
に
至
(
いた
)
れば、
腕車
(
わんしや
)
十
錢
(
せん
)
富山
(
とやま
)
に
赴
(
おもむ
)
き、
四十物町
(
あへものちやう
)
を
通
(
とほ
)
り
拔
(
ぬ
)
けて、
町盡
(
まちはづれ
)
の
杜
(
もり
)
を
潛
(
くゞ
)
らば
蛇くひ
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
“直江津(直江津市)”の解説
直江津市(なおえつし)は、かつて新潟県西部(上越地方)にあった市。現在の上越市北部に相当する。
律令時代には越後国の国府と国分寺(五智国分寺)が置かれた。親鸞が配流された地として、また森鷗外の『山椒大夫』の舞台として知られる。
(出典:Wikipedia)
直
常用漢字
小2
部首:⽬
8画
江
常用漢字
中学
部首:⽔
6画
津
常用漢字
中学
部首:⽔
9画
“直江”で始まる語句
直江
直江志津
直江山城守
直江山城守兼続