白旗しらはた)” の例文
そこには、白旗しらはたみやのまえから、追いつ追われつしてきた小幡民部こばたみんぶが、穴山あなやま旗本はたもと雑兵ぞうひょうを八面にうけて、今や必死ひっしりむすんでいる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
堀の手は島町通しまゝちどほりを西へ御祓筋おはらひすぢまで進んだ。丁度大塩父子ふしひきゐた手が高麗橋に掛かつた時で、橋の上に白旗しらはたが見えた。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「やあ! 荘田さん! 懸賞金はやつぱり私のものですよ。到頭、先方で白旗しらはたを上げましたよ、はゝゝゝ。」
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
蛍雪舎は上野広小路ひろこうじに近い上野町の路地の奥にあった。行って見るとそこは新聞取次とりつぎ業をしているところで、「白旗しらはた新聞店」という看板がかかげられていた。
源氏の白旗しらはたは弓矢の武名をあらわして勇ましいが、この白旗は、あまり名誉なしるしではない。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
野末のずえ一流ひとながれ白旗しらはたのやうになびいて居たのが、横に長く、縦に広く、ちらと動いたかと思ふと、三里の曠野こうや、真白な綿わたで包まれたのは、いまげようとするとほとん咄嗟とっさかんこと
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
時は治承ぢしようの春、世は平家の盛、そも天喜てんぎ康平かうへい以來九十年の春秋はるあき、都もひなも打ち靡きし源氏の白旗しらはたも、保元ほうげん平治へいぢの二度のいくさを都の名殘に、脆くも武門の哀れを東海の隅に留めしより
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
白旗しらはたなお八は如才なく仲裁説を出しました。昔は板倉屋の札旦那の伜でしたが、道樂がかうじて勘當され、今では伴三郎の用心棒にもなれば、太鼓も打つといつた御家人崩れの、これも三十男です。
ぴきかひおはせける故九郎兵衞も今は行處なければ條七の弟分になつて三年程かせぐ中こゝに條七女房おてつと云ふは三歳になるむすめお里もありながら何時しか九郎兵衞と怪敷あやしき中と成しにぞ或日九郎兵衞と云合せ土地ところ鎭守ちんじゆ白旗しらはた明神みやうじんもりにて白鳥はくてう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
白旗しらはたをあげてくるぞ。」
(新字新仮名) / 新美南吉(著)
ぎい……とふいに、白旗しらはたみや狐格子きつねごうしがなかからあいた。そして、むっくり姿をあらわしたのは、なんのこと、鞍馬山くらまやま竹童ちくどうであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「やあ! 荘田さん! 懸賞金はやっぱり私のものですよ。到頭、先方で白旗しらはたを上げましたよ、はゝゝゝ。」
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
このへんは、富士の五といわれて、湖水の多いところだった。みるとなぎさにちかく、白旗しらはたの宮とがくをあげた小さなほこらがあった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところでだ。たった今、村の白旗しらはたの池で百姓と隣村の地侍じざむらいとが、喧嘩を
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)