瀬田せた)” の例文
瀬田せた長橋ながはし渡る人稀に、蘆荻ろてきいたずらに風にそよぐを見る。江心白帆の一つ二つ。浅きみぎわ簾様すだれようのもの立て廻せるはすなどりのわざなるべし。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「ところが昌仙さま、あまり思うつぼでもありませんぜ。というなあ、秀吉ひでよし指図さしずで、瀬田せたまで迎えにでやがった軍勢があるんで」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瀬田せた川に落ちる水の嵩が高くなったとか、岸辺の水がいくらばかり多く草を浸すようになったとかいうような事実は決して皆無とは申されませんが
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
琵琶湖はまたにほの海ともいひ、その名の如く琵琶に似て、瀬田せた膳所ぜぜ、大津などの湖尻から三里ばかり北に入つてゆく間は東西の幅も一里位のもので
湖光島影:琵琶湖めぐり (旧字旧仮名) / 近松秋江(著)
そして家来けらいにいいつけて、おくからこめぴょうと、きぬぴきと、がねを一つさせて、それを藤太とうだおくりました。そしてこの土産みやげしな家来けらいかつがせて、龍王りゅうおう瀬田せたはしの下まで見送みおくって行きました。
田原藤太 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
瀬田せたの長橋をくぐり、石山の埠頭はとばに着いた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
立し時よりあとに成り先に成て行しは町人體ちやうにんていの一人の旅人なり友次郎夫婦は何の氣も付ず瀬田せたの橋の手前なる茶店に腰打掛けて休みし時彼の旅人も其店へ這入はひり煙草などすひながら友次郎等に對ひ貴君方には何へ御越有哉と云掛られ友次郎は豫て道中には騙子ごまのはひと云もの有と聞及び居ければよわみを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
やがて、まッくらな瀬田せた唐橋からはし小橋こばし三十六けん、大橋九十六けんを、粛々しゅくしゅくとわたってゆく一こう松明たいまつが、あたかも火の百足むかでがはってゆくかのごとくにみえた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
むかし近江おうみくに田原藤太たわらとうだという武士ぶしんでいました。ある日藤太とうだ瀬田せた唐橋からはしわたって行きますと、はしの上にながさ二十じょうもあろうとおもわれる大蛇おろちがとぐろをまいて、往来おうらいをふさいでていました。
田原藤太 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
「ゆうべ瀬田せたから伊那丸をむかえてきた、木村又蔵またぞう可児才蔵かにさいぞう、井上大九郎なんていうやつの軍兵ぐんぴょうで」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだ襖も入らない三重の廊下に床几をすえて、瀬田せた比良ひら、また湖水一面の眺望を、すでにほしいままにしながら、信長はまたしても、長秀から期日の言質げんちを取ろうとするような口吻である。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なお、不安にたえない残りの家臣組は、大津あたりまで、見えかくれに信長の姿を守護して行ったが、そののち駅路うまやじの馬を雇って、信長たちは、さも気やすげに、瀬田せたの大橋を東へ去った。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)