“せた”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
瀬田22.0%
勢多19.5%
世田17.1%
背丈17.1%
勢田7.3%
瀬多7.3%
2.4%
背負2.4%
脊丈2.4%
脊長2.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「ところが昌仙さま、あまり思うつぼでもありませんぜ。というなあ、秀吉ひでよし指図さしずで、瀬田せたまで迎えにでやがった軍勢があるんで」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八幡やわた、山崎、竹田、宇治、勢多せた、深草、法勝寺などにわたる夜来やらいからの赤い空は、ただまっ黒なものとなり、小雨はやんで、東山のみねには
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
世田せたという所がどこかしら東京付近にあるという事だけ知って、それがどの方面だかはきょうまでつい知らずにいたが、今ここを通って始めて知った。
写生紀行 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
私が訊いたのは何も背丈せたけのことばかりではない。西洋人にして角逐かくちく出来る体力や気魄きはくついて探りを入れたのである。
巴里のむす子へ (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
近江の湖水では矢走やばせの渡しがあるが、これを渡ることは禁ぜられていた。それは比叡颪ひえいおろしの危険を慮かってのことであった。私どもも勢田せたの長橋を渡って大津へ入込んだ。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
翌三年十月、武田信玄は大挙して上洛を志し遠江とほたふみに侵入し、徳川家康を脅かしたが、翌天正元年四月、やまひを得て「明日旗を瀬多せたに立てよ」のうは言も悲しく陣歿した。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
せたげても頓着とんじゃくせず、何とか絶えず独言ひとりごちつつ鉄葉ブリキ洋燈ランプ火屋ほや無しの裸火、赤黒き光を放つと同時に開眸かいぼう一見、三吉慄然りつぜんとして「娑婆しゃばじゃねえ。」
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「——他あやん、うちはその子貰たらお乳母をつけよ思てまんねんぜ。それに他あやん、あんたその子背負せたろうて俥ひく気イだっか」
わが町 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
延び延びて、私の脊丈せたけほどに延びたが、いっこうにまだ花が出そうにも見えない。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
年齢としごろは忘れたが、つまり薬屋の櫃台デスクがわたしの脊長せたけと同じ高さで、質屋のそれは、ほとんど倍増しの高さであった。
「吶喊」原序 (新字新仮名) / 魯迅(著)