勢多せた)” の例文
四宮河原しのみやがわらを過ぎれば、蝉丸せみまるの歌に想いをはせ、勢多せた唐橋からはし野路のじさとを過ぎれば、既に志賀、琵琶湖にも、再び春が訪れていた。
八幡やわた、山崎、竹田、宇治、勢多せた、深草、法勝寺などにわたる夜来やらいからの赤い空は、ただまっ黒なものとなり、小雨はやんで、東山のみねには
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「オホワダ」をば大海おおわだ即ち近江の湖水全体と解し、湖の水が勢多せたから宇治に流れているのを、それが停滞して流れなくなるとも、というのが
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
正保図には利根とね勢多せた二郡及下野しもつけとの境に「さく山」と記入してある。貞享元年九月二十九日の序ある古市剛の『前橋風土記』には、山川部の根利諸山の項に
皇海山紀行 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
その故は承平の頃俵藤太秀郷ひでさとといふ者ありけり、ある時この秀郷、たゞ一人勢多せたの橋を渡りけるに、たけ二十丈ばかりなる大蛇、橋の上に横たはつて伏したり、両の眼は輝いて
上野勢多せた郡東村大字沢入字菅仁田
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
いとまをやって別れたり、討たれたり……、深傷ふかでのため落伍する者もあったりして——勢多せたを越え渡った頃には、父子と主従、わずか八騎となっていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長の全軍も、陸路、勢多せたの舟橋を渡って、岐阜ぎふへひきあげた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)