世田せた)” の例文
「お邪魔してもよければ……実はわたし貸間をさがしているのよ。今世田せたにいるんですけど、こっちへ出てくるのが大変だから。」
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
世田せたという所がどこかしら東京付近にあるという事だけ知って、それがどの方面だかはきょうまでつい知らずにいたが、今ここを通って始めて知った。
写生紀行 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
暗闇の千葉街道を、驀地まっしぐらに、疾走しているのは、世田せたの自動車大隊だった。囂々ごうごうたるわだちの響は並木をゆすり、ヘッド・ライトの前に、濛々もうもうたる土煙をあげていた。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
おうぎやつ世田せたなどと、鎌倉ではヤツを谷と書くこと年久しく、しかも鎌倉は文化の一中心であったために、諸国に真似をする者が出て今は当然のように考えられているが
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
八幡田圃たんぼを流るゝ田川の大きな方を、此辺では大川と云う。一間はばしかない大川で、玉川浄水じょうすいを分った灌漑用水である。此水あるが為に、千歳村から世田せたかけて、何百町の田が出来る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
府下ふか世田せた松陰神社しょういんじんじゃの鳥居前で道路が丁字形に分れている。分れた路を一、二町ほど行くと、茶畠を前にして勝園寺しょうえんじという匾額へんがくをかかげた朱塗しゅぬりの門が立っている。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その市川の草原には、松戸まつど工兵学校や、千葉鉄道聯隊や、世田せた自動車隊が、一夜のうちに急造した電灯装置ばかりの偽東京が、影も形もないほど、爆撃しつくされてあった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
十五日が世田せたのボロ市。世田ヶ谷のボロ市は見ものである。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
市外荏原郡えばらごおり世田せたまち満行寺まんぎょうじという小さな寺がある。
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)