曇天どんてん)” の例文
穴釣りはどうかと思はれるどんより暖い曇天どんてんで、富士の姿は全く見えなかつた。旭ヶ丘の宿を朝五時に出たが、案内小屋にはもう焚火たきびが燃えて居た。
釣十二ヶ月 (新字旧仮名) / 正木不如丘(著)
毎日の曇天どんてん。十一月の半過なかばすぎ。しんとした根岸の里。湿った道の生垣いけがきつづき。自分はひとり、時雨しぐれを恐れる蝙蝠傘こうもりがさつえにして、落葉の多い車坂をあがった。
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
彼等かれらみな、この曇天どんてんしすくめられたかとおもほどそろつてせいひくかつた。さうしてまたこのまちはづれの陰慘いんさんたる風物ふうぶつおなじやうないろ著物きものてゐた。
蜜柑 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
空襲は雨天または曇天どんてんの夜間を期し、敵戦闘機の襲撃を避けるため、雲の上の高空より爆撃をおこなう予定である。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
時々その暗い表情のどこかに、曇天どんてんうすのような明るみがしかけることもあるが、それはすぐに消えて、また、元の落著おちつきのない暗さにもどってしまう。
木乃伊 (新字新仮名) / 中島敦(著)
後には揚げられた砂煙りが、薄黄色く立ち迷い、晴れた大空をひとしきり、曇天どんてんにしたばかりであった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「ただ今、十日午後六時。北北西の風。風速六メートル。曇天どんてん。あれ模様。海上は次第に波高し」
太平洋魔城 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ロスアンゼルスへの外港、サンピイドロの海は、巨艦きょかんサラトガ、ミシシッピイ等の船腹を銀色に光らせ、いぶし銀のようにくすんでいました。曇天どんてんゆえもあって、海も街も、重苦しい感じでした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
夜に入ればこの巨象の両個のまなこに電燈をひともし候。折から曇天どんてんに候ひし。
凱旋祭 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
あとはもう、陰鬱な曇天どんてんつづきで木枯こがらしの風ばかり吹きすさぶ。
やんぬる哉 (新字新仮名) / 太宰治(著)
うつとして曇天どんてんのしたに動かざりこずゑのさくら散り敷けるさくら
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
曇天どんてんに萌えつつひかる樫若葉浮びてしろき淨水池の塔
白南風 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
なまあたたかい曇天どんてん
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
曇天どんてんにこぞった若葉のこずえ、その向うに続いた鼠色の校舎、そのまた向うに薄光うすひかった入江、——何もかもどこか汗ばんだ、ものい静かさに沈んでいる。
十円札 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
また、たとえば磁石を失った曇天どんてん続きの砂漠旅行者の恐怖がある。見渡すかぎりの砂、空には鼠色の雲ばかり、太陽も月も星も方角の目印となるものは何もない。
探偵小説の「謎」 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
曇天どんてんに萌えつつひかる樫若葉浮びてしろき浄水池の塔
白南風 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
のみならずその木の根元には子供を連れたおばあさんが二人曇天どんてんの大川を眺めながら、花見か何かにでも来てゐるやうに稲荷鮨いなりずしを食べて話し合つてゐた。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いつか曇天どんてんくずした雨はかすかに青んだ海の上に何隻も軍艦を煙らせている。保吉は何かほっとしながら、二三人しか乗客のいないのを幸い、長ながとクッションの上に仰向あおむけになった。
十円札 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)