底冷そこびえ)” の例文
どこにも座敷がない、あっても泊客とまりきゃくのないことを知った長廊下の、底冷そこびえのする板敷を、影の徜徉さまようように、我ながら朦朧もうろうとして辿たどると……
鷭狩 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
室の中は何處となく底冷そこびえがした。私は散らかつた机の上に重ねた紙を置き、ところどころ刄のこぼれた小刀で五本の鉛筆をかはる交る削つた。
不穏 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
老人は京の底冷そこびえに、風邪でも引いたかして、泡のやうなみづはなすゝつてゐたが、ふと自分が今通りかゝつてゐるのは、婦人溜所の前だなと気がくと、ひよいとあしをとめてその方へ振向いた。
彼が殊更ことさらに、この薄暗い妾宅をなつかしく思うのは、風鈴ふうりん凉しき夏のゆうべよりも、虫のゆる夜長よりも、かえって底冷そこびえのする曇った冬の日の、どうやら雪にでもなりそうな暮方くれがた近く
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
其日そのひかぜもなく一仕切ひとしきりつたが、うちにゐると底冷そこびえのするさむさにおそはれるとかつて、御米およねはわざ/\置炬燵おきごたつ宗助そうすけ着物きものけて、それを座敷ざしき眞中まんなかゑて、をつとかへりをけてゐた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
虫の声が聞えない代りに、しいんと凍りつくような底冷そこびえが感ぜられた。眼の前の女が、順一の枕頭で看護してる女が、秋子であってくれたら、とふと思ったのが、いやに気分にこびりついてきた。
幻の彼方 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
風流はさぶいものとは三馬さんばが下せし定義なり山一つ越えて輕井澤となれば國も上野かうづけ信濃しなのとなり管轄縣廳も群馬が長野と變るだけありてさぶさは十度も強しといふ前は碓氷うしろは淺間の底冷そこびえに峠で流せし汗冷たく身輕を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
鼻を刺す石炭酸の臭気にほひが、何処となく底冷そこびえのする空気に混じて、家々の軒下にはおびただしく石灰が撒きかけてある。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
自炊に似た不便な生活も胸に詩興のく時はさしてつらくはなかった。わたしは銀座の近辺まで出掛けた時には大抵精養軒せいようけんへ立寄ってパンと缶詰類を買って帰る。底冷そこびえのする雪もよいの夜であった。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その日は風もなくひとしきり日も照ったが、うちにいると底冷そこびえのする寒さにおそわれるとか云って、御米はわざわざ置炬燵おきごたつに宗助の着物を掛けて、それを座敷の真中にえて、夫の帰りを待ち受けていた。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
降り續いた火事後の雨があがると、傳染病發生の噂と共に底冷そこびえのする秋風が立つて、家を失ひ、職を失つた何萬の人は、言ひ難き物の哀れを一樣に味つてゐた。
札幌 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
降り続いた火事後の雨があがると、伝染病発生の噂と共に底冷そこびえのする秋風が立つて、家を失ひ、職を失つた何万の人は、言ひ難き物の哀れを一様に味つてゐた。
札幌 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)