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常磐津
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ときはづ
ふりがな文庫
“
常磐津
(
ときはづ
)” の例文
俳諧師
(
はいかいし
)
松風庵蘿月
(
しようふうあんらげつ
)
は
今戸
(
いまど
)
で
常磐津
(
ときはづ
)
の
師匠
(
しゝやう
)
をしてゐる
実
(
じつ
)
の
妹
(
いもうと
)
をば今年は
盂蘭盆
(
うらぼん
)
にもたづねずにしまつたので毎日その事のみ気にしてゐる。
すみだ川
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
三絃の流行は彼等の
中
(
うち
)
に
証
(
あかし
)
をなせり、義太夫
常磐津
(
ときはづ
)
より以下
短歌
(
はうた
)
長歌
(
ながうた
)
こと/″\く立ちて之れが見証者たるなるべし。
徳川氏時代の平民的理想
(新字旧仮名)
/
北村透谷
(著)
前者が舞臺の上で用ゐらるゝのは
常磐津
(
ときはづ
)
、清元、長唄の曲であるのに引きかへ、後者では義太夫の曲であるやうな、さういふ相違のあることもはつきりして來る。
桃の雫
(旧字旧仮名)
/
島崎藤村
(著)
お山と云ふのは、もう三十四五の
年増
(
としま
)
である。お大の姉で、
此
(
これ
)
も
常磐津
(
ときはづ
)
のお師匠さんなのだ。
絶望
(旧字旧仮名)
/
徳田秋声
(著)
十二日から道頓堀の
浪花
(
なには
)
座に名人会といふのが開かれてゐる。長唄の
孝次郎
(
かうじらう
)
、勝四郎、
常磐津
(
ときはづ
)
の
和佐
(
わさ
)
、清元の
家内
(
やな
)
、
舞踊
(
をどり
)
の
鹿島
(
かしま
)
恵津子——どれを見ても、格別名人らしい顔触でないのが愛嬌である。
茶話:04 大正七(一九一八)年
(新字旧仮名)
/
薄田泣菫
(著)
▼ もっと見る
処
(
ところ
)
へ
風
(
かぜ
)
を
冐
(
ひ
)
いた人が
常磐津
(
ときはづ
)
を語るやうな
声
(
こゑ
)
でオー/\といひますから、
何
(
なん
)
だかと
思
(
おも
)
つて
側
(
そば
)
の人に聞きましたら、
彼
(
あ
)
れは
泣車
(
なきぐるま
)
といつて
御車
(
みくるま
)
の
軌
(
きし
)
る
音
(
おと
)
だ、と
仰
(
おつ
)
しやいましたが、
随分
(
ずゐぶん
)
陰気
(
いんき
)
な
物
(
もの
)
でございます。
牛車
(新字旧仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
天
(
あま
)
の
川
(
がは
)
の
澄渡
(
すみわた
)
つた空に繁つた
木立
(
こだち
)
を
聳
(
そびや
)
かしてゐる
今戸八幡
(
いまどはちまん
)
の前まで来ると、
蘿月
(
らげつ
)
は
間
(
ま
)
もなく並んだ
軒燈
(
けんとう
)
の間に
常磐津
(
ときはづ
)
文字豊
(
もじとよ
)
と
勘亭流
(
かんていりう
)
で書いた妹の家の
灯
(
ひ
)
を認めた。
すみだ川
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
で、
風流三昧
(
ふうりうざんまい
)
の
蘿月
(
らげつ
)
は
已
(
や
)
むを得ず
俳諧
(
はいかい
)
で世を渡るやうになり、お
豊
(
とよ
)
は
其
(
そ
)
の
後
(
ご
)
亭主
(
ていしゆ
)
に
死別
(
しにわか
)
れた不幸つゞきに
昔
(
むかし
)
名
(
な
)
を取つた
遊芸
(
いうげい
)
を幸ひ
常磐津
(
ときはづ
)
の
師匠
(
ししやう
)
で
生計
(
くらし
)
を立てるやうになつた。
すみだ川
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
「
竹本
(
たけもと
)
」や「
常磐津
(
ときはづ
)
」を初め
凡
(
すべ
)
ての
浄瑠璃
(
じやうるり
)
は立派に複雑な感激を
現
(
あらは
)
して居るけれど、「音楽」から見れば歌曲と云はうよりは楽器を用ゐる朗読詩とも云ふべく、
咄嗟
(
とつさ
)
の感情に訴へるには
冷
(
ひやゝ
)
か過ぎる。
黄昏の地中海
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
“常磐津(
常磐津節
)”の解説
常磐津節(ときわづぶし)は、三味線音楽の一種。浄瑠璃を語る太夫と、三味線弾きで構成される。流派として常磐津と呼称される場合と、伝統芸能の1ジャンルとして常磐津(常磐津節)と呼称される場合があるが、一般的には同義として用いられている。また、芸能としての常磐津節は重要無形文化財に指定されている。
(出典:Wikipedia)
常
常用漢字
小5
部首:⼱
11画
磐
漢検準1級
部首:⽯
15画
津
常用漢字
中学
部首:⽔
9画
“常磐津”で始まる語句
常磐津節
常磐津林中
常磐津金蔵
常磐津式多津
常磐津文字豊
常磐津文字太夫