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南都
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なんと
ふりがな文庫
“
南都
(
なんと
)” の例文
一般の者が「……これやよも、ただ事の御祈願ではあるまいぞ、内々、
南都
(
なんと
)
や
叡山
(
えいざん
)
へお手を廻して、お味方に
馴付
(
なづ
)
けんとする
御心
(
みこころ
)
でもあろうや?」
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
尋
(
たづぬ
)
るに
元
(
もと
)
大和國
(
やまとのくに
)
南都
(
なんと
)
春日
(
かすが
)
の
社家
(
しやけ
)
大森隼人
(
おほもりはいと
)
の次男にて
右膳
(
うぜん
)
と
云者
(
いふもの
)
有
(
あり
)
しが是を
家督
(
かとく
)
にせんと
思
(
おもひ
)
父の隼人は右膳に
行儀
(
ぎやうぎ
)
作法
(
さはふ
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
其
(
そ
)
の
前年
(
ぜんねん
)
の八
月
(
ぐわつ
)
、
英堂和尚
(
えいだうをしやう
)
が
南都
(
なんと
)
西大寺
(
せいだいじ
)
から
多田院
(
ただのゐん
)
への
歸
(
かへ
)
りがけに、
疝氣
(
せんき
)
に
惱
(
なや
)
んで、
玄竹
(
げんちく
)
の
診察
(
しんさつ
)
を
受
(
う
)
けたことがあるので、一
度
(
ど
)
きりではあるが、
玄竹
(
げんちく
)
は
英堂和尚
(
えいだうをしやう
)
と
相識
(
さうしき
)
の
仲
(
なか
)
であつた。
死刑
(旧字旧仮名)
/
上司小剣
(著)
大阪から
南都
(
なんと
)
へ出る街道口、そこには、伊勢や鳥羽へ立つ旅人の見送りや、
生駒
(
いこま
)
の
浴湯詣
(
よくゆもう
)
で、奈良の
晒布
(
さらし
)
売り、河内の
木綿
(
もめん
)
屋、深江の
菅笠
(
すげがさ
)
売りの女などが、茶屋に休んで
鳴門秘帖:04 船路の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
潔
(
きよ
)
く致せと云れけるに源八は
覺悟
(
かくご
)
をせし
樣子
(
やうす
)
にて
仰
(
おほせ
)
の如く我々白状致すべし先第一は
南都
(
なんと
)
に於て
大森通仙
(
おほもりつうせん
)
娘お高に
戀慕
(
れんぼ
)
致
(
いた
)
し戀の
叶
(
かな
)
はぬ
意趣
(
いしゆ
)
に鹿を殺し
通仙
(
つうせん
)
の家の前へ
置
(
おき
)
しにより通仙は
奈良
(
なら
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
▼ もっと見る
養家
(
ようか
)
の
貧
(
ひん
)
したため十五歳で京都の
妙心寺
(
みょうしんじ
)
に小僧にやられ、名を
十竹
(
じっちく
)
ともらい、
笈
(
おいずる
)
を負うて、若いあいだ、
南都
(
なんと
)
、
高野
(
こうや
)
、諸山を
遍参
(
へんさん
)
して、すこしばかり仏法をかじったり、
一切経
(
いっさいきょう
)
を読んでみたり
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
以て
威
(
おど
)
し
療治
(
れうぢ
)
致
(
いた
)
させ上野に
匿
(
かく
)
れ住は身に
暗
(
くら
)
き處有故ならずや
白状
(
はくじやう
)
せず共
此科
(
このとが
)
に
因
(
よつ
)
て首はなきものと心得よ
因
(
よつ
)
ては
南都
(
なんと
)
以來の
舊惡
(
きうあく
)
殘
(
のこ
)
らず白状致せ
左
(
さ
)
もなき時は
嚴敷
(
きびしく
)
拷問
(
がうもん
)
申付る
苦痛
(
くつう
)
致
(
いた
)
すは死する身に
損
(
そん
)
なるべしと申さるゝに
源
(
げん
)
八佐七の兩人
首
(
かうべ
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
“南都”の意味
《名詞》
複都制を採用する場合において、陪都のうち南に位置する都邑。
《固有名詞》
北の平安京に対し南の奈良平城京のこと。
北の延暦寺(北嶺)に対し奈良の興福寺のこと。
奈良県の異称。
(出典:Wiktionary)
南
常用漢字
小2
部首:⼗
9画
都
常用漢字
小3
部首:⾢
11画
“南都”で始まる語句
南都留