南都なんと)” の例文
一般の者が「……これやよも、ただ事の御祈願ではあるまいぞ、内々、南都なんと叡山えいざんへお手を廻して、お味方に馴付なづけんとする御心みこころでもあろうや?」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たづぬるにもと大和國やまとのくに南都なんと春日かすが社家しやけ大森隼人おほもりはいとの次男にて右膳うぜん云者いふものありしが是を家督かとくにせんとおもひ父の隼人は右膳に行儀ぎやうぎ作法さはふ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
前年ぜんねんの八ぐわつ英堂和尚えいだうをしやう南都なんと西大寺せいだいじから多田院ただのゐんへのかへりがけに、疝氣せんきなやんで、玄竹げんちく診察しんさつけたことがあるので、一きりではあるが、玄竹げんちく英堂和尚えいだうをしやう相識さうしきなかであつた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
大阪から南都なんとへ出る街道口、そこには、伊勢や鳥羽へ立つ旅人の見送りや、生駒いこま浴湯詣よくゆもうで、奈良の晒布さらし売り、河内の木綿もめん屋、深江の菅笠すげがさ売りの女などが、茶屋に休んで
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
きよく致せと云れけるに源八は覺悟かくごをせし樣子やうすにておほせの如く我々白状致すべし先第一は南都なんとに於て大森通仙おほもりつうせん娘お高に戀慕れんぼいたし戀のかなはぬ意趣いしゆに鹿を殺し通仙つうせんの家の前へおきしにより通仙は奈良なら
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
養家ようかひんしたため十五歳で京都の妙心寺みょうしんじに小僧にやられ、名を十竹じっちくともらい、おいずるを負うて、若いあいだ、南都なんと高野こうや、諸山を遍参へんさんして、すこしばかり仏法をかじったり、一切経いっさいきょうを読んでみたり
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
以ておど療治れうぢいたさせ上野にかくれ住は身にくらき處有故ならずや白状はくじやうせず共此科このとがよつて首はなきものと心得よよつては南都なんと以來の舊惡きうあくのこらず白状致せもなき時は嚴敷きびしく拷問がうもん申付る苦痛くつういたすは死する身にそんなるべしと申さるゝにげん八佐七の兩人かうべ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)