儕輩せいはい)” の例文
博士は中学に在った頃から儕輩せいはいに推された秀才で、外国語の成績は殊に優れていた。その頃は大川端新大橋の近くに家があった。
木犀の花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
明和三年に大番頭おおばんがしらになった石川阿波守総恒の組に、美濃部伊織と云うさむらいがあった。剣術は儕輩せいはいを抜いていて、手跡も好く和歌のたしなみもあった。
じいさんばあさん (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼らの儕輩せいはいの中島元八がそれを裏付けていた。そして、嘘も隠しもない事実が、人々の気持ちなりに、次第にさまざまなかげをつくっていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
爾来研磨けんま幾星霜いくせいそう、千葉道場の四天王たる、庄司しょうじ弁吉、海保かいほ半平、井上八郎、塚田幸平、これらの儕輩せいはいにぬきんでて、実に今では一人武者であった。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
如水はことさらに隠居したが、なほ満々たる色気は隠すべくもなく、三成づれに何ができるか、事務上の小才があつて多少儕輩せいはいにぬきんでゝゐるといふだけのこと。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
それだけにまた儕輩せいはいに群を抜いて、上流の貴婦人に、師のごとく、姉のごとく、敬いたっとばれている名誉を思え、七歳ななつ年紀としから仏蘭西フランスへ行って先方むこうの学校で育ったんだ。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
京都の中にいて、水の漏れるようなすきの目でさがしつつ、儕輩せいはいを押したおして官位の競望に憂き身をやつした中流公家の心労からは、生れ出ることのない大慈悲心である。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
それが出来れば彼は、儕輩せいはいを出し抜ける。それからもう一ツ、言葉も、服装も、趣味も、支那人と寸分違わない。彼は、どこへ行ったって、バレる気づかいがない。と思っていた。
武装せる市街 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
そうしてその為には少しでも前へ出なければいけないので、時には儕輩せいはいを排斥する位の事はしなければならない。前の人が斃れゝばそれが幸いで、その死屍を踏み越えて前進する。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
年々歳々模範生として儕輩せいはいから暗打やみうちを食わされるまで、善行を心掛けたのである。
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
この稀有けうの女流文豪が儕輩せいはいの批難を怖れて、平生は「一」という文字すらどうして書くか知らないような風を装い、中宮ちゅうぐうのために楽府がふを講じるにも人目を避けてそっと秘密に講じています。
「女らしさ」とは何か (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
沼南は当時の政界の新人の領袖りょうしゅうとして名声藉甚せきじんし、キリスト教界の名士としてもまた儕輩せいはいされていたゆえ、主としてキリスト教側から起された目覚めざめた女の運動には沼南夫人も加わって
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
蕪村は夏野というような大景を句にすることにおいては、たしかに儕輩せいはいに卓越しておった。太祇や几董などにはこの種の題の句は余り沢山なく、あってもそれほど自由でないが蕪村は自由である。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
おそろしく眼先がきいて、それでいて太っ腹な男なので、儕輩せいはいを抜いて、いつのまにか柘植の家から離れるようになった和泉屋に采配をふるう身分になってきたのだ。四十をよほど越した分別盛りだ。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
さて鷲津幽林は天明三年名古屋の城主徳川宗睦むねちかの再興した明倫堂の教官に挙げられたが儕輩せいはいの嫉みを受けたので
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
初めこの勝三郎は学校教育がるいをなし、目に丁字ていじなき儕輩せいはいの忌む所となって、杵勝同窓会幹事の一人いちにんたる勝久の如きは、前途のために手に汗を握ることしばしばであったが
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
劍術は儕輩せいはいを拔いてゐて、手跡も好く和歌の嗜もあつた。石川の邸は水道橋外で、今白山から來る電車が、お茶の水を降りて來る電車と行き逢ふ邊の角屋敷になつてゐた。
ぢいさんばあさん (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
学生の頃悪少年を以て目せられしものは、儕輩せいはいうち子とわれとの二人なり。十六、七の頃にはともに漢詩を唱和し二十の頃より同じく筆を小説に染めまた倶に俳諧に遊べり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
ケダシ賀寿ノえんヲ設ケテ以テソノ窮ヲ救ヘト。先生曰ク、中興以後世ト疎濶そかつス。彼ノ輩名利ニ奔走ス。我ガ唾棄だきスル所。今ムシロ餓死スルモあわれミヲ儕輩せいはいハズト。晩年尤モ道徳ヲおもんズ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その隆準りゅうじゅんなるを以ての故に、抽斎は天狗てんぐと呼んでいた。佐藤一斎、古賀侗庵こがとうあんの門人で、学殖儕輩せいはいえ、かつて昌平黌しょうへいこうの舎長となったこともある。当時弘前吏胥りしょ中の識者として聞えていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
矢島優善をして別に一家いっかをなして自立せしめようということは、前年即ち安政六年のすえから、中丸昌庵なかまるしょうあんが主として勧説した所である。昌庵は抽斎の門人で、多才能弁を以て儕輩せいはいに推されていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
つとに詩を以て儕輩せいはいの推す所となった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)