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佐々
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さっさ
ふりがな文庫
“
佐々
(
さっさ
)” の例文
佐々
(
さっさ
)
どのに於いてすら、そのように思われるのだから、正義に
拠
(
よ
)
る一部の若ざむらいどもが、牙を噛んで、無念がるのもむりはない。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
同じく其弟の源六は
佐々
(
さっさ
)
成政の養子で、二人
何
(
いづ
)
れも秀吉を
撃取
(
うちとり
)
にかかった猛将佐久間
玄蕃
(
げんば
)
の弟であったから、重々秀吉の
悪
(
にく
)
しみは掛っていたのだ。
蒲生氏郷
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
それは、いつも元気のいい
佐々
(
さっさ
)
刑事であった。遺失物というのは落し物とか、忘れ物とかいう意味であった。
火星兵団
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
佐々
(
さっさ
)
玄
(
げん
)
八
郎
(
ろう
)
、前山彦七、
海塚主馬
(
うみづかしゅめ
)
、
西御門
(
にしごもん
)
八郎右衛門、
間瀬徹堂
(
ませてつどう
)
、等、等、等。
丹下左膳:03 日光の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
と、云いかけているとき、長吉の吟味に当っていた
佐々
(
さっさ
)
と云う与力が
奉行と人相学
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
▼ もっと見る
こうして、なお、直接攻撃の
部署
(
ぶしょ
)
もそれぞれ決めた上、大将
佐々
(
さっさ
)
成政は、城の正面、坪井山をうしろに、その
山麓
(
さんろく
)
を、本陣とさだめて
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
このとき
佐々
(
さっさ
)
刑事は、懐中電灯を照らして、自動車の落ちた崖のすぐ下のところを、しきりに探していた。
火星兵団
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
佐々
(
さっさ
)
玄八郎が、いぶかしげな
低声
(
こごえ
)
で
丹下左膳:03 日光の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
うまくやったのは
猿面
(
さるめん
)
の
秀吉
(
ひでよし
)
、山崎の一戦から
柴田
(
しばた
)
も
佐々
(
さっさ
)
も
滝川
(
たきがわ
)
も眼中になく、メキメキ
羽振
(
はぶ
)
りをあげたが、ずるいやつは
徳川家康
(
とくがわいえやす
)
だ。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
進少年と
佐々
(
さっさ
)
記者が、蜂谷艇長の指揮する宇宙艇よりも一日早く、無事に地球に到着したといったら、読者は信じるだろうか。いや全くの
奇蹟中
(
きせきちゅう
)
の奇蹟だった。
月世界探険記
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
湊川の土かつぎを、いつもしている気で、働いていることは
慥
(
たしか
)
でございます。
佐々
(
さっさ
)
の旦那も、それだけは証人になって下さるだろうと思います
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「おい、
佐々
(
さっさ
)
。君、これからすぐ出かけて、蟻田博士がなにをしているか、様子をみてきてくれ」
火星兵団
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
救援軍は、
近江
(
おうみ
)
から
電馳
(
でんち
)
して向った。柴田勝家を大将として、滝川、羽柴、丹羽、
佐々
(
さっさ
)
、前田などの諸部隊が続々向った。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それを助け起してみると、なんのこと、艇内に残っているように命じてあった
佐々
(
さっさ
)
記者だった。彼は
深傷
(
ふかで
)
に気を失っていたが、ようやく
正気
(
しょうき
)
にかえって一行に
縋
(
すが
)
りついた。
月世界探険記
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
信長は、森、
佐々
(
さっさ
)
、前田などの旗本に、わずか三百の手勢をつれたのみで、道もない
山間
(
やまあい
)
や
渓谷
(
けいこく
)
を伝い、熊川から朽木谷方面へ、夜どおし逃げた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「艇長さん、それは
可哀想
(
かあいそう
)
だなア。……じゃいいから、僕の食物を、この
佐々
(
さっさ
)
のおじさんと半分ずつ食べるということにするから、このままにしてあげてよね、いいでしょう」
月世界探険記
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
紀州
根来衆
(
ねごろしゅう
)
、北越の
佐々
(
さっさ
)
、関東一円も当方に
加担
(
かたん
)
呼応あるべく、織田
有縁
(
うえん
)
の諸侯、池田、
蒲生
(
がもう
)
などの参加も疑いない。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
柴田、
佐々
(
さっさ
)
は同じ型のうぬぼれ男だ。永禄年代の武人型といえよう。同じ
瓶割
(
かめわ
)
り
流
(
りゅう
)
でも、柴田は大ガメじゃが、
佐々
(
さっさ
)
は
一
(
ひと
)
まわり小さい
素焼
(
すやき
)
のカメである。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「おお
御辺
(
ごへん
)
が、徳川どのの
御内
(
おうち
)
に、井伊の
赤備
(
あかぞな
)
えと、聞えの高い、兵部直政どのか。……いや、お若いのう。それがしが、
佐々
(
さっさ
)
成政。お見しりおかれよ」
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
北陸経営の
重鎮
(
じゅうちん
)
は、ここに定められた。そのほかの布置を見ると、
金森
(
かなもり
)
、
不破
(
ふわ
)
、
佐々
(
さっさ
)
などの諸将は各郡を配分し、前田又左衛門
利家
(
としいえ
)
にも、二郡を分け与えた。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
佐々
(
さっさ
)
。暴言ばかり吐いたがゆるしてくれ。どうか、おぬしだけは、老公のお側にいて、おれの分まで、忠勤をたのむぞ。もう会えぬかもしれん。おさらば」
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
佐々
(
さっさ
)
殿の舎弟、
内蔵助成政
(
くらのすけなりまさ
)
どのの好意で、成政どのの
乳人
(
めのと
)
の田舎で、時節を待っておった」
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
去
(
い
)
ぬる天正七、八、九年の北越陣に参加の衆は、なおお忘れあるまいが、この小伜は、当時、わが上杉家の一将として、
魚津城
(
うおつじょう
)
に
拠
(
よ
)
り、織田どのの遠征軍たる——柴田一族、
佐々
(
さっさ
)
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いま天下
信長公
(
のぶながこう
)
の
亡
(
な
)
きのちは、西に
秀吉
(
ひでよし
)
、東に
徳川
(
とくがわ
)
、
北条
(
ほうじょう
)
、
北国
(
ほっこく
)
に
柴田
(
しばた
)
、
滝川
(
たきがわ
)
、
佐々
(
さっさ
)
、前田のともがらあって、たがいに、
中原
(
ちゅうげん
)
を
狙
(
ねら
)
うといえども、いずれも
満
(
まん
)
を
持
(
じ
)
してはなたぬ
今日
(
こんにち
)
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
不破、前田、
佐々
(
さっさ
)
、金森などの諸隊が結びあって、
高槻
(
たかつき
)
の高山右近を包囲する。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
大湖の秋を渡って、対岸の坂本についてみると、すでに信長以下の——
佐々
(
さっさ
)
、柴田、佐久間、明智、丹羽などの諸大将はさきに寄せていた。叡山のふもとは眼のとどく限り、織田軍の旗だった。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
越中で対陣中の上杉
景勝
(
かげかつ
)
の兵にたいしては、
麾下
(
きか
)
の
佐々
(
さっさ
)
成政と前田利家の二軍をのこし、北ノ庄にも部下を留め、勝家としては実に、超速度の転進とは見えたが、その主隊が、越前と近江の境
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
穴田村方面には、
佐々
(
さっさ
)
、進藤、村井、明智、佐久間の諸隊。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
滝川、
佐々
(
さっさ
)
も膝を屈した。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
佐
常用漢字
小4
部首:⼈
7画
々
3画
“佐々”で始まる語句
佐々成政
佐々砲弾
佐々十竹
佐々介三郎
佐々平左衛門
佐々醒雪
佐々良路
佐々木盛綱
佐々木氏綱
佐々木基一