たた)” の例文
が、たたずんで一寸何か考えたらしい青年は、思い切ったように、グン/\家の中へ入って行った。ステッキを元気に打ち振りながら。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
余は空を仰いで町の真中まなかたたずんだ。二週間の後この地を去るべき今の余も、病むからだよこたえて、とこの上にひとり佇ずまざるを得なかった。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ある夜更よふけに冷たい線路にたたずみ、物思いに沈む抱月氏を見かけたというのもそのころの事であったろう。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
私たちはすでに、林のなかを抜け出して、昔、水車場のあった跡にたたずんでいたのだった。——そこで道が二股ふたまたに分かれて、一方は「水車の道」、もう一方は「本通り」へと通じていた。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
一途いちずにこの小丸山へ来たらしいのであったが、旅の老武士は、そこに働いているいやしくない女性にょしょうをながめて、ここが配所であり僧の住居とは考えられないようにいぶかってたたずんでいた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
末の弟を、ねんねこ背負せおいして、裏脊戸うらせどあたりにたたずみながら、いろんな本を読むのが好きであった。国語の教科書でも、講談本の賃貸ちんがし本でも、古い婦人雑誌など、かなひろいでよく読んだ。
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
二郎は歩みを止めてたたずみました。れか自分の名を呼んだなと思いましたけれど、それっきり聞こえませんでした。余程来たかと思う時分に杉林の奥の方で太鼓のおとがまたしても聞こえます。
迷い路 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「あれは、秋であつた——千住の方から、圓い澄んだ月が登つたツけが——」然し、それはもう前世のことのやうで——今は、早や他界のこなたに來てゐる樣な冷たい感じで、渠はたたずんでゐる。
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
御米は火ののない真中に、しばらくたたずんでいたが、やがて右手に当る下女部屋の戸を、音のしないようにそっと引いて、中へ洋灯の灯をかざした。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その衝立には淡彩たんさいの鶴がたった一羽たたずんでいるだけで、姿見のように細長いその格好かっこうが、普通の寸法と違っている意味で敬太郎の注意をうながした。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
鉄の格子こうしがはまっているようだ。番兵が石像のごとく突立ちながら腹の中で情婦とふざけているかたわらに、余はまゆあつめ手をかざしてこの高窓を見上げてたたずむ。
倫敦塔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しばらくそこでたたずんでいるうちに、今度は今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。なぜあんなものを書いたのだろうという矛盾が私を嘲弄ちょうろうし始めた。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
清くさびしい声である。風のわたらぬこずえから黄な葉がはらはらと赤き衣にかかりて、池の面に落ちる。静かな影がちょと動いて、又元に還る。ウィリアムは茫然ぼうぜんとしてたたずむ。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そこに飾ってあった墨絵の鶴の衝立ついたての前に、せた高い身体からだをしばらくたたずまして、靴を穿く敬太郎の後姿うしろすがたながめていたが、「妙な洋杖ステッキを持っていますね。ちょっと拝見」
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
留守るすでは仕方がない。どうしたものだろうと思って、石の上にたたずんで首をかたぶけているところへ、うしろに足音がするようだからふり向くと、先刻さっき鉄嶺丸で知己ちかづきになった沼田さんである。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
今までは人が後ろにいようとは夢にも知らなかった女も、帰ろうとして歩き出す途端に、茫然ぼうぜんとしてたたずんでいる余の姿が眼にったものと見えて、石段の上にちょっと立ち留まった。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
母は黙ってそこにたたずんでいた。自分は母の表情に珍らしく猜疑さいぎの影を見た。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)