九歳こゝのつ)” の例文
もらがミラボーだけに、賞品も別に悪くはなかつたやうだ。だが九歳こゝのつの子供の帽子を貰つたお爺さんがその帽子をうしたかは記者も知らない。
九歳こゝのつ。』と、その松三郎が自分で答へた。膝に補布つぎを當てた股引を穿いて、ボロ/\の布の無尻むじりを何枚も/\着膨れた、見るから腕白らしい兒であつた。
足跡 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
九歳こゝのつの時初めて知って母に尋ねると、母は泣いて答えませんので、自分も其の理由を知らずにいた処、去年の十一月職人の兼松と共に相州の湯河原で湯治中
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
丑松がお妻と遊んだのは、九歳こゝのつに成る頃で、まだ瀬川の一家族が移住して来て間も無い当時のことであつた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
九歳こゝのつ頃から十二三まで、殊に母の亡つた十二の年なぞは、夜も父と同じ蒲團に寢た。たゞ父は夜になつて外へ出る時だけ、決して自分を連れて行かうとはしなかつた。
父の婚礼 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
もう卅さいわかかつたなら?——日本につほん文壇ぶんだんは、動搖どうえうし、わたしは——わたしは、かぞへると、九歳こゝのつだつ!
九歳こゝのつ十歳とをばかりの小兒こどもは、雪下駄ゆきげた竹草履たけざうり、それはゆきてたとき、こんなばんには、がらにもない高足駄たかあしださへ穿いてたのに、ころびもしないで、しかあそびにけた正月しやうぐわつの十二時過じすぎなど
雪霊記事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
そのあかつきの大鳥神社の鳥居の大きかつたことは、まるで人間世界を超越したもののやうに九歳こゝのつの私には思はれたのです。帰りには上までもつとよく眺めませうと通つてしまつたあとでは思つて居ました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
ハイ九歳こゝのつでまだネカラ手が𢌞りません。此答へに一座唖然たり
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
それから九歳こゝのつの秋に東京へ遊學に出掛けるまで、私の好きなことは山家の子供らしい荒くれた遊びでした。
自分に見えねえから此様こんな疵のあるのも知らなかったのさ、九歳こゝのつの夏のことだっけ、河へ泳ぎに行くと、友達が手前てめえの背中にア穴が開いてると云って馬鹿にしやがったので
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
(その自伝によると)バリモントは五歳いつつの時に、婦人をんなを見るとぽつと顔をあかめるやうになり、九歳こゝのつの時には真剣に女に惚れるやうになり、十四の時に肉慾を覚えたと言つてゐる。
自分が九歳こゝのつ十歳とをで、小池が十五六で、あの南の村から自分の村に通ずる細路をば、笹に五色の紙片の附いたのを一本づゝ持つて、二人で走り歩いたことなぞも思ひ出されて來た。
兵隊の宿 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
『今年は來ない? 何だ、それぢや其兒は九歳こゝのつか、十歳とをかだな?』
足跡 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
九歳こゝのつ位で私の居た級では継子話まゝこばなし流行はやりました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
僅かに九歳こゝのつの昔、まだ夢のやうなお伽話とぎばなしの時代——他のことは多く記憶にも残らない程であるが、彼の無垢むく情緒こゝろもちばかりは忘れずに居る。もつとも、幼い二人の交際まじはりは長く続かなかつた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)