金堂こんどう)” の例文
だから彼らは、金堂こんどうの壁画の中ですら平然と火を燃やす。世の中に無用に生きているに過ぎない一個の空骸むくろを暖めるために火を燃やす。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
興福寺の金堂こんどうや南円堂にはいって見たが、疲れて来たのであまり印象は残らなかった。しかし南円堂では壁の画が注意をひいた。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
または金堂こんどうの中にいて轟く雷鳴を聞きながら、空海四十二歳の座像を見ていたときなどは、寂しい心持になってこの山上を愛著あいじゃくしたのである。
仏法僧鳥 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
もう小一時間ばかりも松林のなかに寝そべって、そんなはかないことを考えていたが、僕は急に立ちあがり、金堂こんどうの石壇の上に登って、扉の一つに近づいた。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
これはじつ日本につぽん法隆寺ほうりゆうじ金堂こんどう繪畫かいがにもくらぶべき、立派りつぱふるのこりものであります。(第八十二圖だいはちじゆうにず
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
境内けいだいではしきりにきじが鳴いている。樹立こだちの繁みは深い。華厳寺の建物は堂々たるものであった。生憎あいにく金堂こんどうは今大修理中で見ることが出来ない。この寺は新羅しらぎ時代の石塔石燈せきとうを以てことに名がある。
全羅紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
法隆寺ほうりゅうじ金堂こんどう薬師寺やくしじの塔は木造建築の耐久性を示す注目すべき実例である。これらの建物は十二世紀の間事実上そのまま保全せられていた。古い宮殿や寺の内部は惜しげもなく装飾を施されていた。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
いつける愛の金堂こんどうここにつひ
春鳥集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
金堂こんどうとびらたたかぜ
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
会見の場所は、秀吉の宿所、中院の金堂こんどうに準備されてあるが、日時は、いつがおよろしいか、御都合は——と訊かれて、信雄は
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敬田院きょうでんいんには、救世観音くせかんのんを本尊とする金堂こんどうを中心に伽藍がらんがある。ここに精神的な救いの手が民衆に向かってひろげられている。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
金堂こんどうの中にはいってみると、それぞれの足場の上で仕事をしている十人ばかりの画家たちの背ごしに
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
あの法隆寺ほうりゆうじ金堂こんどう五重ごじゆうとう中門ちゆうもんなどが一番いちばんふるいもので、千何百年せんなんびやくねんながいあひだ木造もくぞう建築けんちくがそのまゝつたはつてゐるといふことは、世界せかいにもあまれいのないことです。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
のみならず、金堂こんどうの深くから、今日も大般若経だいはんにゃきょうの転読の声がながれていた……。公綱はあやしみながら、秋ノ坊から別当職の者を呼び出して
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金堂こんどうも、講堂も、その他の建物も、まわりの松林とともに、すっかりもう陰ってしまっていた。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
『はい。十月十五日朝の御発輦ごはつれんで。……このたびは、金堂こんどう落慶式らっけいしきもおありなので、伏見の離宮に、ふた夜三夜みよは、お泊りとか、伺うています』
五仏堂だの、薬師堂だの、食堂じきどうだのの堂塔のあいだをめぐって坊舎からすこし離れると、そこに金堂こんどうと多宝塔があった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天王寺の金堂こんどうでは、大般若経だいはんにゃきょう転読てんどくがながれていた。この日、正成は先ごろの戦勝のお礼に、二頭の神馬と、白覆輪しろふくりんの太刀などを寺中へ納めていたのである。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今度の安楽寿院の金堂こんどうの落成につづいても、次には、さらに三層の多宝塔たほうとうを建てられる思し召しがあった。
その一部は帝の配所として改修されてはあるものの、雨の日などは、元の金堂こんどう内陣ないじんも、雨漏りの音が不気味にひびいて、廊は傘をささねばあるけないばかりであった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中院金堂こんどうの一室には、人なく、燭のみが夜を待っていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)