“郷(きやう)” の例文
魚沼郡の内宇賀地(うがち)の郷(きやう)堀(ほり)の内の鎮守(ちんじゆ)宇賀地の神社(じんじや)は本社八幡宮也、上古より立せ給ふとぞ。縁起文(えんぎぶん)多(おほ)ければこゝに省(はぶ)く。霊験(れいげん)あらたなる事は普(あまね)く世にしる処なり。
先生の宿志(しゆくし)、ここにおいてか足れり。すでにして郷(きやう)に還(かへ)り、即日、収(ところ)を瑞龍山(ずゐりゆうざん)先塋(せんえい)の側(かたはら)に相(さう)し、歴任(れきにん)の衣冠魚帯(いくわんぎよたい)を瘞(うづ)め、載(すなは)ち封し載ち碑(ひ)し、自ら題して、梅里先生(ばいりせんせい)の墓(はか)と曰(い)ふ。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此(こ)の景勝(けいしよう)愉樂(ゆらく)の郷(きやう)にして、内湯(うちゆ)のないのを遺憾(ゐかん)とす、と云(い)ふ、贅澤(ぜいたく)なのもあるけれども、何(なに)、青天井(あをてんじやう)、いや、滴(したゝ)る青葉(あをば)の雫(しづく)の中(なか)なる廊下(らうか)續(つゞ)きだと思(おも)へば、渡(わた)つて通(とほ)る橋(はし)にも、川(かは)にも
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
沼田川を渡り入野山中を経小野篁(たかむら)の郷(きやう)なり。辰後一里半田万里市(たまりいち)。堀内庄兵衛の家に休す。主人みづから扇箱(せんさう)と号す。常に広島城市に入て骨董器を売る。頼兄弟及竹里みな識ところなり。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
本江(ほんごう)の郷(きやう)と訓(よ)ませる積であつたのだらう。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)