はだし)” の例文
「涌谷をなだめなければならない」甲斐は仰臥ぎょうがしたままそうつぶやいた、「涌谷の考えは白刃の上をはだしで渡るようなものだ」
白い衣とそしてはだしであった。宇治を見おろすと鋭い声で何か叫んだ。憎しみにあふれた叫びであった。そしてよろよろと小屋を離れ、宇治の方に近づいた。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
「こんな遅くまで帰らないことはないのに、どうしたかと思って、捜していた所だった。おや、はだしで? ……」
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
真紅まっかな足袋はだしのまま離れ座敷を出ると、植込みの間に腰を抜かしている若党勇八を尻目に見ながら、やはり足袋跣のまま、悠々と玄関脇の仏間へ上って来て
名君忠之 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
だが、僕の靴底を奇妙に冷たいものが流れる。どうにもならぬ冷たいものが……。あの女も恐らく炎々と燃える焔にほおを射られ、はだしで地べたを走り廻ったのか。
火の唇 (新字新仮名) / 原民喜(著)
私は毎朝はやく起されて草ぼうぼうとしたあき地をはだしで歩かされる。ぺんぺん草や、蚊帳つり草や、そこにはえてる草の名をおぼえるだけでも大変な仕事である。
銀の匙 (新字旧仮名) / 中勘助(著)
もさゝず濡萎ぬれしよぼたれてはだしとは其の意を得ずと思ひしに跡にてきけおとうとなる十兵衞とやら云者が札の辻にて人手にかゝり其あかつきに長庵は病氣なりとて十兵衞が出立するを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
着飾つた坊さん、はだし位牌いはい持ち、ひつぎ、——生々しい赤い杉板で造つた四斗だるほどの棺桶くわんをけで、頭から白木綿で巻かれ、その上に、小さな印ばかりの天蓋てんがいが置かれてある。
野の哄笑 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
大阪でチボ(スリ)とえば、理非をわかたず打殺して川にほうり込むならわしだから、私は本当に怖かった。何でもげるにかずと覚悟をして、はだしになって堂島の方に逃げた。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
はだしになつて逃げ出すもの、父母を呼んで泣き出すもの、蒼ざめて立ちすくんだもの——と一瞬の間に運動場全体が、大きな網にかゝつた魚群のやうな必死の絶叫に燃え立つた。
サクラの花びら (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
丸刈りの日にやけたはだしの少年たちが、蟻のようにたかり拾いはじめた。
その一年 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
と、片言の独逸ドイツ語で呼ぶ。するとローゼマリーが現れて、垣根を躍り越えて此方の庭へ来、はだしになって芝生の上で縄跳なわとびをする。それにフリッツや、幸子や妙子なども加わることがある。悦子は
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
流石にその日龍然は、息の乱れを収めてもとの顔付にもどるまで十数歩の歩行を要したが、それも収まると、また超然とした残骸に還元して、一方の足ははだしにしたまま長い坂道を傾きながら歩いた。
黒谷村 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
下女心配でたまらず、そのくれはだしで逃げ帰り、その父兄おどろいていとまを乞いに来たので馬琴不思議に思い、色々聞きただすと右次第、全く小説の妙趣向が浮かんだ欣喜の余りに出た独り言にほかならずと分り
あのものぐさがはだしで庭の草取りはする
荘子 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
翌日、私は甥を連れて雨の中を八幡村へ帰って行った。私についてとぼとぼ歩いて行く甥ははだしであった。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
納屋なやの土床で子供が遊んでいたり、はだしの農婦とすれ違ったりする。ふと振り返ると、農婦が足をとめて、じっとこちらを見詰めている。道はだんだん上り坂になる。
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
外から、人々がこうわめくと、一室からは、お杉だの分家の嫁だのが、はだしのまま裏庭へころげ降りた。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そなたが、そうして見せると、一そう伊吹の頃の小娘がこの眼によみがえされてくる。おれを嫌って、そなた、伊吹ノ城からはだしで田楽村へ泣いて帰ったことなどあったな」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五郎は返事にきゅうして黙っていた。すると女ははだしのまま簀子の上にあがって来た。
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
わたしはハッと逃げ出したくなった。わたしははだしで歩き廻った。ぞろぞろ動くものに押されて、ザワザワ揺れるものに揺られて、影のようなものばかりが動いているなかをひとりふらふら歩き廻った。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)