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けんゆうしゃ
ふりがな文庫
“
硯友社
(
けんゆうしゃ
)” の例文
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の作家が、文章などに浮身を
窶
(
やつ
)
して、本当に人間が描けなかった中で、一葉丈は
嶄然
(
ざんぜん
)
として独自の位置を占めていますからね。
真珠夫人
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
丁度同時に
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の『
我楽多文庫
(
がらくたぶんこ
)
』が創刊された。
紅葉
(
こうよう
)
、
漣
(
さざなみ
)
、
思案
(
しあん
)
と
妍
(
けん
)
を競う中にも美妙の「情詩人」が
一頭
(
いっとう
)
地
(
ち
)
を
抽
(
ぬき
)
んでて評判となった。
美妙斎美妙
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
版にしないものはいろいろあったが、出たものには
山田美妙斎
(
やまだびみょうさい
)
が編輯していた『都の花』があった。その他
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
一派の『文庫』が出ていた。
明治十年前後
(新字新仮名)
/
淡島寒月
(著)
今ならカッフエというところで、近くの横寺町に住んでいた尾崎紅葉その外
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
一派の人々や、早稲田の文科の人達がよく行ったものだそうだ。
早稲田神楽坂
(新字新仮名)
/
加能作次郎
(著)
江戸趣味の
恍惚
(
こうこつ
)
のみに満足して、心は実に平和であった。
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の芸術を立派なもの、新しいものだと思っていた。
深川の唄
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
▼ もっと見る
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の最後をかざる豪放な作家で、胸のすくような快男児であった。はじめて会ったのが大正の初めで、それから、ずうっと、氏が亡くなるまで、交渉が続いた。
胡堂百話
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
湖月に宴会があって行って見ると、紅葉君はじめ、
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の人達が、客の中で最多数を占めていた。
百物語
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
小川
芋銭
(
うせん
)
がコマ絵と称する写生図を毎日載せ、小説欄には、
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の作家の作品や前田曙山がよく登場して、因果華族という題名の小説などが受けていたようである。
忘れ残りの記:――四半自叙伝――
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
学校に近い
駿河台
(
するがだい
)
に引越して、紅葉も寄宿し、八畳の
室
(
へや
)
に、二人が机を並べ、そのうちに、おなじ予備門の学生
石橋思案
(
いしばししあん
)
も同居し、文壇を
風靡
(
ふうび
)
した
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
はその三人に
田沢稲船
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
古いところでは
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
系の諸豪を筆頭に、三田系、早稲田系、赤門系、それに女流作家も参加し、その外文展系院展系の画伯連、政論家文藝批評家等、紛然雑然としてゐるので
青春物語:02 青春物語
(新字旧仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
かつて文壇の
梁山泊
(
りょうざんぱく
)
と称えられた
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
、その星座の各員が陣を構え、
塞頭
(
さいとう
)
高らかに、
我楽多文庫
(
がらくたぶんこ
)
の旗を
飜
(
ひるがえ
)
した、
編輯所
(
へんしゅうじょ
)
があって、心織筆耕の花を咲かせ、
綾
(
あや
)
なす霞を
靉靆
(
たなび
)
かせた。
薄紅梅
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
近ごろの古本漁りは、江戸時代は珍本どころか、大抵の安本までが、払底のため、明治時代に下って、初期の『文明開化』物から、
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
あたりの、初版本にまで及ばしているようだ。
それからそれ:書斎山岳文断片
(新字新仮名)
/
宇野浩二
(著)
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
に反抗して起った自然主義が、いくら平面的文学であり、その後に起った
耽美派
(
たんびは
)
文学がまた、単なる言葉の織物であるにしても、其処には推移そのものの真理が厳存するのだから仕方がない。
鶴は病みき
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
派がある。だが、竜土会はすべての党派を
抱擁
(
ほうよう
)
していた。誰が主将というのでもなかったが、どの党派からも喜んで人が出て来た。長谷川天渓氏が来た。川上眉山氏が来た。小栗風葉氏が来た。
芝、麻布
(新字新仮名)
/
小山内薫
(著)
不思議にもこの中坂は文豪馬琴の史蹟であると共にまた、明治の文学史に一エポックを作った
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の発祥地でもある。
硯友社の勃興と道程:――尾崎紅葉――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
唖々子はかつて
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
諸家の文章の
疵累
(
しるい
)
を指擿したように、当世人の好んで使用する流行語について、例えば発展、共鳴、節約、裏切る、宣伝というが如き
十日の菊
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
それは
朝野
(
ちょうや
)
新聞から、後の
万朝報
(
まんちょうほう
)
に立て
籠
(
こも
)
った、黒岩
涙香
(
るいこう
)
の翻訳探偵又は伝奇小説の、恐るべき流行に対する、出版者達の対抗運動で、当時
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の根城のようになっていた
随筆銭形平次:12 銭形平次以前
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
古いところでは
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
系の諸豪を筆頭に、三田系、早稲田系、赤門系、それに女流作家も参加し、その外文展系院展系の画伯連、政論家、文藝批評家等、紛然雑然としてゐるので
泉先生と私
(新字旧仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
が、
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
より、もっと前、上杉先生などよりなお先に、一輪、大きく咲いたという花形の
曙
(
あけぼの
)
女史と聞えたは、浅草の牛肉屋の娘で——
御新客
(
ごしんき
)
、
鍋
(
なべ
)
で
御酒
(
ごしゅ
)
——帳場ばかりか、立込むと出番をする。
薄紅梅
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
尾崎
紅葉
(
こうよう
)
、川上
眉山
(
びざん
)
たちと共に、
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
を創立したところの
眉毛
(
まゆげ
)
美しいといわれた文人で、言文一致でものを書きはじめ『国民の友』へ掲載した「蝴蝶」は、いろいろの意味で評判が高かったのだ。
田沢稲船
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
それからこれはずっと後の話ですが、小川町の翁屋という薬種屋の主人で安川という人があって、
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の紅葉さんなんかと友人で、硯友社連中の
文士芝居
(
ぶんししばい
)
に、ドロドロの火薬係をやった人でして
江戸か東京か
(新字新仮名)
/
淡島寒月
(著)
八年頃
江見水蔭子
(
えみすいいんし
)
がこの地の娼婦を材料として描いた小説『
泥水清水
(
どろみずしみず
)
』の一篇は当時
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の文壇に傑作として批評されたものであったが、今よりして回想すれば
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
当時のチャキチャキの新らしい男たる
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の中にもこの女と親しいものがあったはずである。
二葉亭四迷の一生
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
花やかなりし頃の作家では、
巌谷小波
(
いわやさざなみ
)
山人にたった一回、大正時代に有楽座で自由劇場の第何回目かの試演の時に、
小山内薫
(
おさないかおる
)
に紹介してもらって、廊下で立ち話をしたことがあった。
文壇昔ばなし
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
入谷
(
いりや
)
の朝顔と
団子坂
(
だんござか
)
の菊人形の衰微は
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
文学とこれまたその運命を同じくしている。
葛飾土産
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
尾崎、山田、石橋の三氏が中心となって組織した
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
も無論「文学士春の屋おぼろ」の名声に動かされて勃興したので、坪内君がなかったならただの新聞の投書ぐらいで満足しておったろう。
明治の文学の開拓者:――坪内逍遥――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
紅葉先生は
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
諸先輩の
中
(
うち
)
わたくしには最も親しみが薄いのである。
正宗谷崎両氏の批評に答う
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
この青軒先生こそはやがてわれをば
桜痴
(
おうち
)
居士
福地
(
ふくち
)
先生に紹介の労を取られし人にてありけれ。されどこの
度
(
たび
)
の訪問は初めて
硯友社
(
けんゆうしゃ
)
の諸先輩を歴訪せし時とは異りて容易に望を遂ぐる事能はざりけり。
書かでもの記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
“硯友社”の解説
硯友社(けんゆうしゃ)は、明治期の文学結社。1885年、尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案、丸岡九華によって発足。「我楽多文庫」を発刊し、川上眉山、巖谷小波らが参加し当時の文壇で大きな影響を与える一派となった。
明治36年(1903年)10月の紅葉の死によって解体したが、近代文体の確立など、その意義は大きい。
(出典:Wikipedia)
硯
漢検準1級
部首:⽯
12画
友
常用漢字
小2
部首:⼜
4画
社
常用漢字
小2
部首:⽰
7画
“硯友社”で始まる語句
硯友社員
硯友社機関