潰走かいそう)” の例文
このあたりから、幕軍全く潰走かいそうして、大阪へ逃げるものあり、紀州に落ちるものあり、桑名藩士等は大和から本国へ直接逃げて行った。
鳥羽伏見の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そして、最後さいごは、火花ひばならす、突撃戦とつげきせんでありました。てき散々さんざんのめにあわして潰走かいそうさしたが、こちらにもおおくの死傷者ししょうしゃしました。
とびよ鳴け (新字新仮名) / 小川未明(著)
敗軍の鯨波げいはは、まっ黒に北へなだれ、西へまよい、その間にもなお多くの死傷者を出しながら、やがて南のほうへ一路潰走かいそうしはじめた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もとより異議を立てる者もあったが、多くの専門家の意見によれば、退却はそこでは潰走かいそうに終わるのほかはなかったであろう。
憤激してる逃走者らは、自分らの潰走かいそうをつぐなうために、追っかけてくる者どもをののしり、一撃をも受けない先から「人殺し!」と叫んでいた。
前晩寝床の上で背中を丸め「軍は潰走かいそうした。我等は勝利を得、敵将五人を捕虜とし云々」
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
敵は一たまりもなく潰走かいそうしたのである。逃ぐるを追って、首をあげた者が、彼方此方の野や河原で、声いッぱい、名乗りをさけんでいる。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
襲撃軍は死者と負傷者とを遺棄したまま、列を乱し混乱して街路の先端に退却し、再び闇夜やみよのうちに見えなくなってしまった。先を争う潰走かいそうだった。
けれども、ナポレオンがすでに十里ばかりの距離に迫ってき、それと会戦を期して進軍していた時、その小軍勢は突然狼狽ろうばいし出して、森の中に潰走かいそうしてしまった。
是を地になげうって弟の氏照に向い、一片の文書で天下の北条を恫喝どうかつするとは片腹痛い、兵力で来るなら平の維盛の二の舞で、秀吉など水鳥の羽音を聞いただけで潰走かいそうするだろうと豪語したと云う。
小田原陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それに新田方の江田貞経も勇将ではあったろうが、東上軍の大兵のまえには、一トたまりもなくとりでをすてて潰走かいそうしたものにちがいなかった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういう深い悲しみは、本心のあらゆる軍勢を潰走かいそうさせる。それこそ致命的な危機である。この危機から平然と脱して、義務のうちにしかと足をふみしめ得る者は、世にあまりない。
潰走かいそうした蜀兵はみな城中にかくれて、ひたと四門をとじてしまった。蜀の名将張任ちょうじんの命はよく行われているらしい。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
玄徳は一軍を率いて、力闘につとめたが、もとより孔明から授けられた計のあること、防ぎかねた態をして、たちまち趙雲とひとつになって潰走かいそうしだした。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
海上の火が、陸の浦兵部丞の戦意を、極度に沮喪そそうさせたことはいうまでもない。潰走かいそうはこの刹那から始まった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一ノ谷から潰走かいそうした大半の敵は、彼の予想どおり、多くは船で水路を逃げのび、屋島附近へ集合している。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もう一軍は田無たなし方面へと、三分裂の潰走かいそうを止めどなくして、かず知れぬ捕虜や死傷者を途中に捨てた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
追撃にかかった僧兵の一隊は、川をさかのぼって先に廻り、やがて潰走かいそうして来る見込みで、敵を待っていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
潰走かいそう乱軍のなかに、武田方の好餌こうじとなって捕捉ほそくされたり、もうひとつの原因は、丹波島の下流にあたる犀川の深い流域へ、向う見ずに駆けこんで、溺れ流されたり
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しずたけから潰走かいそうするありさまを見ると、なんとなく心がいたんで、いっそのこと、島をでてふたたび主君の馬前に立とうかとさえ——ツイさっきも迷ったのである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五丈原頭孔明こうめいを秘して潰走かいそうした蜀兵の哀寂と同じものが、一同の胸へこみ上げてくるのだった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
道々見る敵の死骸によって、潰走かいそうして行った敵の主脳部の径路が彼にはやや分って来たからである。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しゃ二無二、本陣の将士を督して勝頼の身を、重囲から救い出した。——これを敵方から見れば、明らかに、甲州の中軍は、算をみだして、潰走かいそうし出したものといえよう。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
闇のなかに狼狽をきわめた平軍は、われがちに潰走かいそうし、ほとんど一矢も射なかった程である。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしそのときすでに城兵の大半は潰走かいそうし、前日までの頑強性は失われた後のことなので、正確なる城乗り一番の軍功は依然搦手からめてからはいった虎之助の上にあることはいうまでもない。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
黒田父子の主人筋で、一たん織田方へ味方しながら、中道で寝返りを打った御著ごちゃくの小寺政職まさもとは、三木陥落と聞くやいな、戦いもせず、居城御著をすてて、備後びんご方面へ潰走かいそうしてしまった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
顔良がんりょうが討たれたので、顔良の司令下にあった軍隊は支離滅裂しりめつれつ潰走かいそうをつづけた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いったんここに潰走かいそうを止めても、なお浮き足のまないのもむりはなかった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おびただしい兵糧を置き捨てて、曹軍の先頭は、四方に潰走かいそうしてしまった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、闘志を失った池田の士卒は、三々五々、田のあぜ、山の小道、林や湿地のあいだなど、道をえらばず、潰走かいそうしていた。——その思い思いな人間の流れは、やがて、みな矢田川の岸へ出た。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでに姜維の奇略に落ちて、さんざんに駈け散らされた趙雲の蜀兵は、平路を求めて潰走かいそうしてくると、ここにまた、馬遵の旋回して来るあって、腹背ふくはいに敵をうけ、完膚かんぷなきまでに惨敗を喫した。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
潰走かいそうする足利の大軍を追いかけ追いかけして、その頃の難波津なにわのつから渡辺橋わたなべばしのあたりまでよせて来たのが十一月の末、二十六日の夜明け方だったという。……ちょうど今夜のように寒かったろう」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「押しつめて、わざとゆるみ、敵をおごらせて味方は潰走かいそうして見せる。その間、ひそかに大軍をまわし、中道を遮断すれば、関羽は十方に道を失い、孤旗をささえて悲戦の下に立つしかありません」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
作手つくで甘泉寺かんせんじに手厚く葬ったのでも分るし、強右衛門の一言のために、大敗北を招いて潰走かいそうした甲州兵のうちでも、誰ひとり鳥居という名をしざまにののしる者がなかったのを見ても明らかであった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)