桶狭間おけはざま)” の例文
旧字:桶狹間
桶狭間おけはざまで泰然としていた信長、たとえ一もくなり二目なり置いていたとはいえ、そう無惨むざんな敗れを取るようなこともなかったろうと思う
桶狭間おけはざまの合戦のあった永禄三年の年、伊豆で産声うぶごえをあげていたので、武蔵はそれより遅るること、約二十二年後に生れているのである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
葛城が家族の反対に関せず、何を措いても彼女の父の結婚及渡米の許諾を獲べく、単刀直入桶狭間おけはざまの本陣に斬込まねばならぬと考えた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
桶狭間おけはざま今川義元いまがわよしもとも敵をあなどって命を落したが、首はあとから返して貰ったし、もちろん鼻だってちゃんと首に附いていたことだ。
十六歳の時から桶狭間おけはざま合戦の二十七歳までは席の安まる間もなく戦塵をあびて、自らの地盤を確保するに余念がなかった。
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そうしてそれ以外になおタニもあれば、一方にはまたホラもありクボもあり、ハザマという語は有名な桶狭間おけはざま以外に、三河部にはかぞえきれぬほどもある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
三河と美濃の国境だという境橋を渡って、道はだんだん丘陵の間に入り、この辺が桶狭間おけはざまの古戦場だという田圃みちを通った。戦場にしては案外狭く感じた。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
また信長のぶなが寡兵かへいとくして桶狭間おけはざまに突進するに先だち、いかほど心を労したろう。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
駿河の今川義元いまがわよしもと、数万の兵を率いて織田信長おだのぶながを攻めんとせしとき、信長の策にて桶狭間おけはざま伏勢ふせぜいを設け、今川の本陣に迫りて義元の首を取りしかば、駿河の軍勢は蜘蛛くもの子を散らすがごとく
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
このさいの彼は、桶狭間おけはざまの織田信長に似ている。いや信長は後代の人だから、故智こちまなんだものではない。義貞の天分だった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そういえばそれ、この城から桶狭間おけはざまへ向けて進発する時の、小冠者信長の当時の心境を思わなけりゃあならねえ。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ことに桶狭間おけはざまかっせんのおりにはおんみずからこれをおうたいなされ今川どのをお討ちとりになりましたよしにて、織田家にとってはめでたいものでござりましたけれども
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
要するに、われらお互いの者と同じように、織田家そのもののぎょうもまだ若いのだ。考えても見られい。つい桶狭間おけはざまの一戦あって以来の織田家だ。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
湊川みなとがわ四条畷しじょうなわて桶狭間おけはざま、川中島、高松城の一舟、松の間の廊下、雪の夜の本所松坂町、劇以上の劇でないところはない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は桶狭間おけはざまの信長に思い合わせ、鵯越ひよどりごえの故智にならって、あの当然に選ばなければならないはずの三道のいずれをも捨てて、まるで方角ちがいな
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(きょうのわが殿は、さながら桶狭間おけはざまの折の、上総介信長かずさのすけのぶながさまにも、さも似たり。——打ち出たる所も同じ清洲の城)
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ござりまする! ござりまするッ! ……。今川勢の主力、義元とその旗本らの本陣は、つい今し方、にわかに道を変えて、桶狭間おけはざまのほうへ向いました」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「戦の仕様も、変って来たなあ。鉄砲という新しい武器が、急激に変えてきたのだ。桶狭間おけはざまの合戦とこんどの大戦とを、思いあわせれば、隔世かくせいかんがある」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桶狭間おけはざまの御合戦のみぎり……またその後も折々、わが君がよくお口にあそばす小歌の一節を思い出しまして」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桶狭間おけはざま僥倖ぎょうこうが、かえってお家の害になった。勝ってつつしむのお考えなく、思い上がっておいでられるのだ」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
猪子兵助や毛利新助などは、古参の馬廻り衆で、すでに桶狭間おけはざまの合戦頃からその勇名は聞えている士だった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
滝川左近将監一益たきがわさこんのしょうげんかずますが三河へ使いに立ったのは、去年桶狭間おけはざまの戦いの後、これで幾度か知れないほどであった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「よい御主君を持ったことを、われわれはこの頃、痛切に思うようになった。桶狭間おけはざまの折に仰いだ信長様のおすがたは、終生、われらの眼底から消えまいと思う」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戦いは、いつも桶狭間おけはざまのようには行かないものであると、ひとり教えられていたにちがいなかった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ですから茶道の御勉強にかかっても、桶狭間おけはざま長篠ながしのの戦場へ奮迅ふんじんしたあの心ぐみでやるのだと、いつかもおはなしがあったそうで、京の大黒庵だいこくあんも、驚き入っておりました
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは余談だし、ずっと後の事でもあるが、織田信長が桶狭間おけはざまで義元の中軍へ突撃したときでも、その営中に斬り入るまでは義元の居どころは的確に知れなかったのである。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桶狭間おけはざまこのかた、信長のこの「一挙に——」という信念は、何かにつけ、以前より強くなったようである。従って、藤吉郎などは常に、その反対な考えをもつ場合が多くなった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桶狭間おけはざまの時といい、先頃の長篠の折と申し、いずれも五月の頃で、しかも暑さは、今日どころではなく、さむらいどもは、腐り水であろうと、泥水どぶみずであろうと、孑孑ぼうふらすくって、そのまま
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
永禄えいろく四年の六月、桶狭間おけはざまの合戦の翌る年。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここから真下の敵へ逆落さかおとしに斬り入ってゆく自分のうしろには神があるとする強味——神こそはいつも正しきものに味方し給うものという強味——むかし信長が桶狭間おけはざまへ駈けてゆく途中でも熱田の宮へぬかずいたことなども思い合わされて
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桶狭間おけはざまへ出陣の明け方
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桶狭間おけはざまへ。桶狭間へ。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)