李白りはく)” の例文
西欧の詩人吾これをつまびらかにせず、東洋の古今ただ詩作家の少なからざるを見るのみ、真詩人の態度を得たるものあるを知らず、屈原くつげん陶潜とうせん杜甫とほ李白りはく
絶対的人格:正岡先生論 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
隴西ろうせい李白りはく襄陽じょうよう杜甫とほが出て、天下の能事を尽した後に太原たいげん白居易はくきょいいで起って、古今の人情を曲尽きょくじんし、長恨歌ちょうこんか琵琶行びわこうは戸ごとにそらんぜられた。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
立ち寄れば、牛のくそまじりの土墻どべいに、誰のいたずらか“李白りはく泥酔ノ図”といったような釘描くぎがきの落書がしてある。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
李白りはくの才あって始めて長安の酒家に眠るべし。経世の志士松本楼に酔えば帰りの電車でゲロを吐くのみ。
偏奇館漫録 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
李白りはく一斗詩百篇」を誇る日本ではかう云ふことは可笑しいと云ふ外はない。この互に軽蔑し合ふことは避け難い事実とは云ふものの、やはり悲しむべき事実である。
また李白りはくしゆくするいはく、揚杯祝願無他語さかづきをあげてしゆくすねがふにたにごなく謹勿頑愚似汝爺矣つゝしんでぐわんぐなるなんぢのちゝににることなかれ家庭かてい先生せんせいもつ如何いかんとなす?
聞きたるまゝ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
ヴェルレーヌ、李白りはくに至っては典型的なる純情のニヒリストで、陶酔の刹那せつなに生をけ、思慕エロス高翔こうしょう感に殉死しようとするところの、まことの「詩情の中の詩情」を有する詩人であった。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
「八町と少し……だが、三千尺はうそだろう、唐の李白りはく算盤そろばんでもなければそうは割り出せない、常識から言ってみてな。三千尺といえば、山にしたところでかなり高い山だからなあ」
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
支那の詩は李白りはくにしろ、杜甫とほにしろ、日本人に膾炙かいしゃされているのは知るごとくである。自然観に、人生観に、同じきがためだ。これを見ると、東洋は元一国という感じさえ起こるのである。
日本的童話の提唱 (新字新仮名) / 小川未明(著)
去歳こぞの春すがもりしたるか怪しき汚染しみは滝の糸を乱して画襖えぶすま李白りはくかしらそそげど、たてつけよければ身の毛たつ程の寒さを透間すきまかこちもせず、かくも安楽にして居るにさえ、うら寂しくおのずからかなしみを知るに
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
李白りはく一斗いっと百篇ひゃっぺん——か。ううい!」
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
日東じっとう李白りはくが坊に月を見て 重五
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
私は李白りはくにこうきいてみた。
沙漠の美姫 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
李白りはくは長安の酒家に酔って、酒一斗詩百篇であったと言う。だがこの意味は、一方に酒を飲みつつ、一方に詩を書いていたということで、泥酔しつつ詩作したということではないだろう。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
芭蕉ばしょうのイデヤしたところのもの、石川啄木たくぼくが生涯を通じて求めていたもの、西行さいぎょうが自然の懐中ふところに見ようとしたもの、ゲーテが観念に浮べていたもの、李白りはくやヴェルレーヌが思慕したもの
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)