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しば
ふりがな文庫
“
斯波
(
しば
)” の例文
などの当主から、
斯波
(
しば
)
、
高
(
こう
)
、石堂、畠山、
高力
(
こうりき
)
、関口、木田、入野、西条など十数家の同族におよび、やがて宴となり、宴も終ると
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
早雲と同じころに
擡頭
(
たいとう
)
した越前の朝倉敏景も注目すべき英雄である。朝倉氏はもと
斯波
(
しば
)
氏の部将にすぎなかったが、応仁の乱の際に自立して越前の守護になった。
埋もれた日本:――キリシタン渡来文化前後における日本の思想的情況――
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
斯波
(
しば
)
さんの
御新造
(
ごしんぞ
)
といって、浅草蔵前の方にいたから、もしかすると民政党の斯波氏のおうちの方だったかもしれない。この
女
(
ひと
)
が家元の格をもっていたようだった。
旧聞日本橋:18 神田附木店
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
元来室町幕府にあっては、
斯波
(
しば
)
、畠山、細川の三家を三職と云い、相互に管領に任じて、幕府の中心勢力となって来た。此の
中
(
うち
)
、斯波氏先ず衰え、次で畠山氏も
凋落
(
ちょうらく
)
した。
応仁の乱
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
旧記に観ると、この犬山の城は、
永享
(
えいきょう
)
の末に
斯波
(
しば
)
氏の家臣
織田
(
おだ
)
氏がこの地を領し、斯波
満桓
(
みつたけ
)
が初めて築いたとある。斯波氏が滅びてから織田、徳川の一族が
拠
(
よ
)
って
武威
(
ぶい
)
を張った。
木曾川
(新字新仮名)
/
北原白秋
(著)
▼ もっと見る
天守台はあの辺でなければならぬ、
斯波
(
しば
)
氏のいたのをこの辺とすれば御薗は当然あれであり、植木屋敷があの辺とすれば山吹御所はこの辺でなければならぬ、ここに大手があって
大菩薩峠:33 不破の関の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
実際
此処
(
ここ
)
マデ来テシマッテハ外ニ道ハナサソウデス。僕ハツクヅク、
斯波
(
しば
)
君モ我ガ
儘
(
まま
)
ダガアナタモ我ガ儘ダ、今日ノ事ハ二人ノ我ガ儘ガ当然招イタ報イダト云ウ感ヲ深クシテイマス。
蓼喰う虫
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
尾張の本来の守護職は
斯波
(
しば
)
氏であった。その子孫は信長の居候をしていた。
梟雄
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
それは
斯波
(
しば
)
といふ男の聲であつた。
聖家族
(旧字旧仮名)
/
堀辰雄
(著)
彼女は、
斯波
(
しば
)
家の臣、高島左京大夫のむすめで、利家に
嫁
(
とつ
)
いだのも、その
仲人
(
なこうど
)
は、まだ小身時代の、秀吉
寧子
(
ねね
)
の夫婦だったのである。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長清須の主家織田氏を
凌
(
しの
)
ぐ勢であったので、城主織田彦五郎は、
斯波
(
しば
)
義元を奉じて、同族松葉城主織田伊賀守、深田城主織田左衛門
尉
(
じょう
)
等と通じて一挙に信長を滅そうとした。
桶狭間合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
「それもいいかも知れないな、その間に
斯波
(
しば
)
君とも十分話し合ってみるこッたな」
蓼喰う虫
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
それは
斯波
(
しば
)
という男の声であった。
聖家族
(新字新仮名)
/
堀辰雄
(著)
この須賀口の古駅に織田家や
斯波
(
しば
)
家などの領主よりも以前から住んでいる
酒商
(
さかあきな
)
いの
老舗
(
しにせ
)
から転化して、茶屋になったものというから
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
畠山・
斯波
(
しば
)
の両管領家にも相続の争ひがあり、たま/\、将軍家にも家督相続の争ひが起り、それ/″\、聯合して、敵味方に別れて、後土御門天皇の応仁元年、京都の内外で戦争を始めた。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
いや、そのほか、三州知多の吉良、
仁木
(
にっき
)
、
斯波
(
しば
)
、一色、今川など、足利支流の族党たちの家々からも、名代、あるいは
有縁
(
うえん
)
の者が
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
つたえ聞くところなら、
這奴
(
しゃつ
)
は一族の
斯波
(
しば
)
家長なるものを、私に、奥州管領となし、ひそかに奥州へ下向せしめたと聞いておる。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
山上にはすでに
斯波
(
しば
)
高経の山手隊の一部がいてそこを占領していたのである。彼らは矢ごろを待ちすまし、急に
一
(
いっ
)
せい射撃に出たものだった。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
久慈
(
くじ
)
郡の佐竹ノ
楯
(
たて
)
。
亘理
(
わたり
)
郡の相馬一族。またさきに尊氏から、奥州
管領
(
かんりょう
)
の名で東北に
派遣
(
はけん
)
されていた
斯波
(
しば
)
家長の党などが
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
斯波
(
しば
)
、石堂、荒川などの一族輩はみな例外なしに、尊氏が弟直義を案じる思いと変わらぬものを胸に持っていた。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この地方一帯は、足利家の管領
斯波
(
しば
)
氏のわかれ最上一族の勢力
圏
(
けん
)
内であった。甚助の父も、最上家の臣だった。
剣の四君子:03 林崎甚助
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
だが、直義に劣らない
逸
(
はや
)
り気の将校はほかにも多い。
仁木義勝
(
にっきよしかつ
)
、
石堂綱丸
(
いしどうつなまる
)
などは、とかく功名あせりをしそうである。
斯波
(
しば
)
、畠山、
高
(
こう
)
なども目が放せない。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
斯波
(
しば
)
高経の隊が、はや高取山を越え出て、
大日堂
(
だいにちどう
)
の下に着いたことを、約束どおり彼方で
報
(
しら
)
せておりますぞ」
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼は、尊氏より一日おそく
八幡
(
やわた
)
から入洛して、錦小路の自邸に入り、
斯波
(
しば
)
、石堂、山名、桃井の諸将に
囲繞
(
いにょう
)
され、なんとしても、威風りんりんたるものがある。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
斯波
(
しば
)
、桃井、上杉、山名、畠山、諏訪、宇都宮など名だたる武将どもである。
度
(
ど
)
を失ッてはいなかった。むしろ望むところと今日の驚愕を受けとった風でもある。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
糧道
(
りょうどう
)
の一つはあすから開ける。——佐々木道誉、
斯波
(
しば
)
高経らが、あとにあって、東海の糧米を、やがてどしどし輸送して来よう。これで洛中の士気はいちばい高まる
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
の報が、
斯波
(
しば
)
高経と
高
(
こう
)
ノ
師泰
(
もろやす
)
との連名で、早打ちされてくるし、ひきつづいて、落城のさい、足利勢に捕われた後醍醐の皇太子
恒良
(
つねなが
)
が、現地から都へ、
押送
(
おうそう
)
されて来た。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いや、おぬしへいっているのではない。大納言
具教
(
とものり
)
の眼からすれば、
斯波
(
しば
)
家の一
被官
(
ひかん
)
、織田家のごとき、また、その一家人にすぎぬ滝川
一益
(
かずます
)
のごとき、相手にとるも、
汚
(
けが
)
れというだろう」
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「師直は、側にあれ。
斯波
(
しば
)
、桃井は前に立て。大伍や綱丸もつづいて来い」
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
政庁の三好、松永が頼むに足りないとしたら、管領のほかに、世に将軍家の
御相伴衆
(
ごしょうばんしゅう
)
といわれている山名、一色、赤松、
土岐
(
とき
)
、武田、
京極
(
きょうごく
)
、細川、上杉、
斯波
(
しば
)
などという大名たちはどうしているのか。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“斯波(斯波氏)”の解説
斯波氏(しばうじ、しばし)は、武家・華族だった日本の氏族。室町幕府将軍足利氏の一門で細川氏・畠山氏と交替で管領に任ぜられる有力守護大名であった。越前・尾張・遠江などの守護を世襲したが、戦国時代になると越前は守護代朝倉氏に、遠江は今川氏に奪われ、尾張の織田氏に擁されるも戦国末期に織田信長に放逐されて滅亡した。明治になると斯波氏の末裔と称する加賀藩士の津田氏が斯波に改姓して男爵に叙された。
(出典:Wikipedia)
斯
漢検準1級
部首:⽄
12画
波
常用漢字
小3
部首:⽔
8画
“斯波”で始まる語句
斯波家
斯波義敏
斯波義統
斯波高経
斯波弘
斯波義将