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數年
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すねん
爾來數年、
志村は
故ありて
中學校を
退いて
村落に
歸り、
自分は
國を
去つて
東京に
遊學することゝなり、いつしか
二人の
間には
音信もなくなつて、
忽ち又四五年
經つてしまつた。
清兵衞と
改めしなり斯る
醫道に
精き人なれば今此
返答には及しなり
然ば天一坊は寶澤に相違なしと郡奉行の
荷物を持來し善助と云ふ者元感應院に
數年奉公せし故
能存じ居ると云を
殊に
私は
櫻木海軍大佐とは
面識の
間柄で、
數年前の
事、
私がまだ
今回の
漫遊に
上らぬ
以前、ある
夏、
北海道旅行を
企てた
時、
横濱から
凾館へ
赴く
滊船の
中で、
圖らずも
大佐と
對面した
事がある。
仕
舞て今は麹町加賀屋茂兵衞と云る者の方に
掛人にぞなりたりける此茂兵衞と云は四郎右衞門に
數年勤めし者なりしが
資本金を與へ
暖簾を
分加賀屋茂兵衞とて同六丁目にて
小切類を
一水呑村
先名主惣内
後見九郎兵衞并に
妻深申上奉つり候
當名主九助と申者は私共の
甥に御座候處
數年困窮に付家内相談の上江戸表に奉公
稼ぎに罷出候
右留守中は私共并に九助妻里のみ
取續も相成兼候故右惣内方より
時々合力受漸くに
取續罷在候處五ヶ年目に九助歸村仕つり
留守中妻里惣内と
不義致候と申立
惡名相付私し共親子を