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慶応
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けいおう
ふりがな文庫
“
慶応
(
けいおう
)” の例文
旧字:
慶應
此
(
かく
)
の如く浮世絵研究の気運
漸
(
ようや
)
く熟せし時千八百六十七年(
慶応
(
けいおう
)
三年)万国博覧会の巴里に開始せらるるに及び日本美術の勝利は確定せられり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
慶応
(
けいおう
)
四年二月の夜風が、ここ
千駄ヶ谷
(
せんだがや
)
の植木屋、植甚の庭の植木にあたって、春の
音信
(
おとずれ
)
を告げているのを、窓ごしに耳にしながら、坐っていた。
甲州鎮撫隊
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
西郷南洲
(
さいごうなんしゅう
)
翁が
慶応
(
けいおう
)
年間、京都に集まった
薩摩
(
さつま
)
の勇士の挙動はなはだ不穏なりと聞き、これが
鎮撫
(
ちんぶ
)
に取りかかったとき
自警録
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
南北戦争が終ってリンカーンが暗殺せられたのは
慶応
(
けいおう
)
元年ですからね。その次には十八代の大統領グラント将軍の来朝という印象的な出来事があった。
偉大なる夢
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
慶応
(
けいおう
)
生れの
江戸
(
えど
)
っ
児
(
こ
)
天下の
助五郎
(
すけごろう
)
は
寄席
(
よせ
)
の
下足番
(
げそくばん
)
だが、頼まれれば何でもする。一番好きなのは選挙と
侠客
(
きょうかく
)
だ。
助五郎余罪
(新字新仮名)
/
牧逸馬
(著)
▼ もっと見る
何分
(
なにぶん
)
にも明治初年か
慶応
(
けいおう
)
頃の
撮影
(
さつえい
)
であるからところどころに星が出たりして遠い昔の
記憶
(
きおく
)
のごとくうすれているのでそのためにそう見えるのでもあろうが
春琴抄
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
若槻
(
わかつき
)
という実業家だが、——この中でも誰か知っていはしないか?
慶応
(
けいおう
)
か何か卒業してから、今じゃ自分の銀行へ出ている、年配も我々と同じくらいの男だ。
一夕話
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
この際——年号までも
慶応
(
けいおう
)
元年と改めて、大いに東照宮の二百五十年を記念しようとしたのだ。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
諭吉
(
ゆきち
)
は、アメリカに
注文
(
ちゅうもん
)
した
軍艦
(
ぐんかん
)
を、ひきとりにいく
幕府
(
ばくふ
)
の
使節
(
しせつ
)
の一
行
(
こう
)
にくわわって、二どめのアメリカの
旅
(
たび
)
にでかけていきました。ときに、
慶応
(
けいおう
)
三(一八六七)
年
(
ねん
)
の
正月
(
しょうがつ
)
のことでした。
福沢諭吉:ペンは剣よりも強し
(新字新仮名)
/
高山毅
(著)
慶応
(
けいおう
)
四年二月(この年九月に明治となる)、勅命を
捧
(
ほう
)
じて
奥羽
(
おうう
)
征伐の軍を
仙台
(
せんだい
)
に進めた
九条道孝卿
(
くじょうみちたかきょう
)
は、四月のはじめまず
庄内
(
しょうない
)
藩
酒井忠寛
(
さかいただひろ
)
を討つため、副総督
沢為量
(
さわためます
)
に命じて軍勢を進発させた。
梟谷物語
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
大名や幕府役人の全部について
巨細
(
こさい
)
にしるした四冊ないし五冊ものの『
大成
(
たいせい
)
武鑑』だの『
慶応
(
けいおう
)
武鑑』だのと銘うったもの、それの省略懐中本で二寸に四寸五分ほどの一冊本、同じ型で頁数八、九十丁
武鑑譜
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
慶応
(
けいおう
)
の
初年
(
しょねん
)
、私の
叔父
(
おじ
)
は
富津
(
ふっつ
)
の
台場
(
だいば
)
を固めてゐた、で、
或日
(
あるひ
)
の事。
雨夜の怪談
(新字旧仮名)
/
岡本綺堂
(著)
慶応
(
けいおう
)
三年九月であったが、
土佐
(
とさ
)
の
山内容堂
(
やまのうちようどう
)
侯は、薩長二藩が連合し討幕の計略をしたと聞き、これは一大事と胸を痛めた。
大捕物仙人壺
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
(
慶応
(
けいおう
)
年代)樋口家の先代
万兵衛
(
まんべえ
)
、醜き片輪の女中に手をつけ
海二
(
かいじ
)
が生れた。これが母に輪をかけた傴僂の醜い子だったので、万兵衛は見るに耐えず、母子を追放した。
孤島の鬼
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
漆山
(
うるしやま
)
氏の『浮世絵年表』に従へば菊川英山は
慶応
(
けいおう
)
三年八十一歳にて歿したりといふ。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
母が大阪へやられたのは、たしか
慶応
(
けいおう
)
頃だったと
婆
(
ばあ
)
さんは云うのだけれども、ことし六十七になる婆さんが十四五歳、母が十一二歳の時だったそうであるから、明治以後であることは云うまでもない。
吉野葛
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
それは、
慶応
(
けいおう
)
四(一八六八)
年
(
ねん
)
の五
月
(
がつ
)
十五
日
(
にち
)
のことでした。
福沢諭吉:ペンは剣よりも強し
(新字新仮名)
/
高山毅
(著)
「二十五よ
慶応
(
けいおう
)
の
方
(
かた
)
なのよ。この間一緒に占いを見てもらいに行ったのよ。そうしたらね。一度は別れるような事があるッて言うのよ。だけれど末へ行けばきっと
望
(
のぞみ
)
通りになれるんですッて。」
雪解
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“慶応”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。元治の次で、明治の前。1865年4月7日から1868年9月8日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
慶
常用漢字
中学
部首:⼼
15画
応
常用漢字
小5
部首:⼼
7画
“慶応”で始まる語句
慶応義塾
慶応内閣
慶応義塾大学