愛敬あいきょう)” の例文
なるほどそう云われて見れば、あの愛敬あいきょうのある田中中尉などはずっと前の列に加わっている。保吉は匇々そうそう大股おおまたに中尉の側へ歩み寄った。
文章 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
気にしながらえぬものは浮世の義理と辛防しんぼうしたるがわが前に余念なき小春がとし十六ばかり色ぽッてりと白き丸顔の愛敬あいきょうこぼるるを
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
鋭い目に愛敬あいきょうのある末造が、上品な、目立たぬ好みの支度をしているのを見て、捨てた命を拾ったように思って、これも刹那せつなの満足を覚えた。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
三十前後の顔はそれよりもけたるが、鋭き眼のうちに言われぬ愛敬あいきょうのあるを、客れたるおんなの一人は見つけ出して口々に友のなぶりものとなりぬ。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
くちびると、眼とに、無限の愛敬あいきょうたたえて、黒いろの、無地の夏コートを着て、ゆかしい印象を残してその女は去った。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
六白に生まるる人は、愛敬あいきょううすく、親戚、朋輩の交わり絶ち、かつ吝嗇りんしょくの心あるがゆえに、人にうとまるるなり。もっとも、その性質朴なるものなり。
妖怪学 (新字新仮名) / 井上円了(著)
初対面の愛敬あいきょうをうかべて上を仰いだ僕は鼻の先一尺ばかりのところに現われた美しい少女のおもてを見つめたまま急に顔面を硬直こうちょくさせなければならなかった。
階段 (新字新仮名) / 海野十三(著)
徳若とくわか御万歳ごまんざいと、御代みよも栄えまします、ツンテントン、愛敬あいきょうありける新玉あらたまの、………」
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
南方先生その何やらのふちからあふるるばかりの大愛敬あいきょうに鼠色のよだれを垂らして、生処を尋ねると、足尾の的尾の料理屋の娘というから十分素養もあるだろう、どうか一緒に走り大黒
それからまた池にはいったと思うとせわしなく水中にもぐり込んでは底のどろをくちばしでせせり歩く。その水中を泳ぐ格好がなかなか滑稽こっけい愛敬あいきょうがあり到底水上では見られぬ異形の小妖精しょうようせいの姿である。
あひると猿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
念のためにもう一度繰り返すと、顔は美人と云うほどではない。しかしちょいと鼻の先の上った、愛敬あいきょうの多い円顔まるがおである。
お時儀 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
せ姿のめんやうすご味を帯びて、唯口許くちもとにいひ難き愛敬あいきょうあり、綿銘仙めんめいせんしまがらこまかきあわせ木綿もめんがすりの羽織は着たれどうらは定めし甲斐絹かいきなるべくや
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
勝久はかつて砂糖店を出していたことはあっても、今いわゆる愛敬あいきょう商売の師匠となって見ると、自分の物馴れぬことの甚しさに気附かずにはいられなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
『体源抄』十巻練習事条にちいさ御前が歌はカワラケ音にて非愛にヒタタケて誠の悪音なり、しかも毎調に愛敬あいきょうありてめでたく聞えしは本性の心賢き上によく力の入るが致すところなり云々
可愛らしい顔といえば、彼女の愛敬あいきょうのある話をきいたことがある。彼女はあるおり某氏をたずねて、女優になりたいが鼻が低いからとしきりに気にしていた。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
田中中尉は口髭くちひげの短い、まろまろとあごの二重になった、愛敬あいきょうのある顔の持主である。
文章 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
僕はその時リオナルドオ・ダア・ヰンチのかいたモンナ・リザの画を思い出した。お客に褒められ、友達の折合も好い、愛敬あいきょうのあるお蝶が、この内のお上さんに気に入っているのは無理もない。
心中 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
漁師言葉のあらくれたのも愛敬あいきょうに、愛されて、幸福に、はなやいだ生涯の来るのを待っていたが、花ならばこれから咲こうとする十六の年に、暗い運命の一歩にふみだした。
柳原燁子(白蓮) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
この時十七八の、不断着で買物にでもくというような、廂髪ひさしがみの一寸愛敬あいきょうのある娘が、袖が障るように二人の傍を通って、純一の顔を、気に入った心持を隠さずに現したような見方で見て行った。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そして伊藤公は——かなりな我儘わがままをする人だというので憎みののしるものもあればあるほど、畏敬いけいされたり、愛敬あいきょうがあるとて贔屓ひいきも強かったり、ともかくも明治朝臣のなかで巍然ぎぜんとした大人物
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)