御宇ぎょう)” の例文
後冷泉天皇の御宇ぎょうにあって、奥州の酋長阿部あべ頼時よりときが、貞任さだとう宗任むねとうの二子と共に、朝廷に背いて不逞を逞ましゅうした、それを征したのが源頼義よりよし
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
が、古い処と言えば、第九回の文展に出した「花がたみ」は謡曲花筐はながたみに取材したもので、時代は継体天皇の御宇ぎょうと記憶しますから、随分古い方ではある。
「此家の祖先とする御諸別命みもろわけのみこと、成務天皇の御宇ぎょうに播磨の此地方に於て、川上より菜の葉の流れ下るを見て民住むと知り、求め出し之を領して部民と為す云々」
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
桓武天皇の御宇ぎょうに、ぜんざいが軒下に赤く染め抜かれていたかは、わかりやすからぬ歴史上の疑問である。しかし赤いぜんざいと京都とはとうてい離されない。
京に着ける夕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
宮廷におかせられては、御代みよ御代の尊い御方に、近侍した舎人とねりたちが、その御宇ぎょう御宇の聖蹟を伝え、その御代御代の御威力を現実に示す信仰を、諸方に伝播でんぱした。
山越しの阿弥陀像の画因 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
チュドル王朝第三代エドワアド六世の御宇ぎょうのこと、イングランドのほぼ中央リスタアの町に程遠からぬ、ブラッドゲイト城の前庭を、のちのエリザベス女王の御教育がかり
ジェイン・グレイ遺文 (新字旧仮名) / 神西清(著)
鎮守府将軍藤原清衡きよひらが、奥州の豊田館から平泉に館を築いて移ったのは堀河天皇の御宇ぎょうで、今からおよそ八百四十年前、それから基衡もとひら秀衡ひでひら泰衡やすひらと四代、平泉館に住んで
水中の宮殿 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
鎌倉は源氏発祥はっしょうの地と申してもよい。——後冷泉院の御宇ぎょう安倍貞任さだとうを討ちしずめられた後、祖先源頼義朝臣あそんは、相模守となって鎌倉に居を構えられた。——長子の陸奥守むつのかみ義家朝臣もおられた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山海万里のうちにはおのずから異風奇態の生類しょうるいあるまじき事にあらず、古代にも、仁徳にんとく天皇の御時、飛騨ひだに一身両面の人出ずる、天武てんむ天皇の御宇ぎょう丹波たんば山家やまがより十二角の牛出ずる、文武もんむ天皇の御時
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
大法鼓だいほうこを鳴らし、大法螺だいほうらを吹き、大法幢だいほうとうてて王城の鬼門をまもりしむかしは知らず、中堂に仏眠りて天蓋てんがい蜘蛛くもの糸引く古伽藍ふるがらんを、いまさらのように桓武かんむ天皇の御宇ぎょうから堀り起して、無用の詮議せんぎ
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
『新撰姓氏録』巻二十、山城国諸藩の内に任那みまなから帰化したという多々良公たたらのきみ氏というのは、欽明天皇の御宇ぎょうに来朝して「金多多利金平居等」を献じたゆえに、これをめて多々良公の姓を賜った。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
いまから五十年前——まだ桓帝かんてい御宇ぎょうの頃です。遼東の人で殷馗いんきという予言者が村へきたとき申しました。近頃、いぬいの空に黄星こうせいが見える。あれは五十年の後、この村に稀世の英傑が宿するしらせじゃと。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
村上帝の御宇ぎょうに、中将兼家という朝臣あそんがあった。きたかた(妻)を三人もっていたので、女錐めぎりの中将と、あだ名されていた。あるおり、この三人妻が、偶然、一つ所で出会い、嫉妬喧嘩やきもちけんかが始まった。