じょ)” の例文
……このへんはじょくちで、まだまだ後があるンですが、そういうふうに息をひそめていて二年目ぐらいずつにどえらい大きな仕事をする。
顎十郎捕物帳:13 遠島船 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
この新年号第一回は、一ノ谷合戦から、次の屋島合戦へかかる半年の中間期を、義経の周囲から書き出してゆく“じょきょく”となっている。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やはり能楽に関した“じょまい”というのを出品いたしましたが、あまり能楽がつづきますので、どうかと思う鑑賞家もいられるかと思いますが
「草紙洗」を描いて (新字新仮名) / 上村松園(著)
……此処ここは母屋と七間の廊下でつながっている離れ屋で、広い庭のはずれに当り、うしろを松林に囲まれていた。打っている曲は「じょの舞」であった。
鼓くらべ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「まだ、お話し申し上げることがあるんでございます、それだけでは、まだほんのじょくちで、盲目の剣術の先生や七兵衛が今どこにいるか、それもおわかりになりますまい」
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この長蔵観は当時の自分を他人と見做みなして、若い時の回想を紙の上に写すただ今、始めてじょせつに浮かんだのである。だからやッぱり紙の上だけで消えてなくなるんだろう。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかれども先生は従来じゅうらい他人の書にじょたまいたること更になし、今しいてこれを先生にわずらわさんことしかるべからずとこばんで許さざりしに、ひそかにこれをたずさえ先生のもとに至り懇願こんがんせしかば
「これほどな戦、じょくち、二百や三百の兵が打たれたとて、そのたびに退き鉦を鳴らしていたら、しょせん、敵前への上陸など思いもよらん」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先生、諭吉に序文じょぶんめいず。諭吉は年来ねんらい他人の書にじょするをこのまずして一切そのもとめ謝絶しゃぜつするの例なれども、諭吉の先生における一身上しんじょう関係かんけいあさからずして旧恩きゅうおんの忘るべからざるものあり。
ですから、これを平家史中心に観れば、平家全盛期のじょであり、源氏史からいえば、源氏の発芽期を、すでに地上に見ているという時代でありました。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしこれは、敵方がる心理も同様なのであるから、その殺気にめまいをせず、日頃の丹田たんでんで、沈着に押し迫った方が、じょの勝口を取ることはいうまでもない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
でも、ようやく、三軍が揃って、大宝八幡の社前から、蜿々えんえんと、四陣の兵が、じょしたがって、ゆるぎだしたときは、もう春らしい朝の陽が、大地にこぼれ出していた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こう、さまざまな人物、それぞれな技能の持主が、しぜん群星の如く集まったからには、梁山泊をよく保つため、上下のじょ、礼の順を、厳しく立てねばなりますまい。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いやその山ノ内方面のじょノ勝ちも、小袋坂で食いとめられているのか、あれ以後の捷報も聞かぬ。——仮粧坂けわいざか口はもとより動きがとれず、また義助にかたくうごくなとも命じてある。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
終盤のじょのサシ口へかかった形ではあるまいか。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわゆる“じょち”をめて
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小牧こまきじょ
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
じょ
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)