巍々ぎぎ)” の例文
たといその楼閣は巍々ぎぎたるも、その宮室は美麗なるも、余が眼をもってこれを見れば人の家にあらず、畜類の小屋と言わざるを得ず。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
初めて眼前に立ち聳えて居る巍々ぎぎたる諸山岳に對して言ふ樣なき親しさを覺ゆることは誰しもが經驗してゐる事であらうとおもふ。
地内はいわゆる七堂伽藍がらん巍々ぎぎとしていた。七十二門の廻廊、三門、草門、鼓楼ころう、五重の塔など、甲州第一山の名刹めいさつたる名に恥じない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「噂によればその屋敷、逃げ水のごとく遠くより望めば、巍々ぎぎ堂々と聳えて見えるが、近寄って見れば消えて見えず……不思議な屋敷だということじゃの」
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その巍々ぎぎたる政事軍務等のごときはもちろん、隣里郷党・交際・冠婚・葬祭・花見・遊山等の細事に至るまでみな一様不変の軍律をもってこれを支配せり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
巍々ぎぎたる高閣雲にそびえ。打ちめぐらしたる石垣いしがきのその正面には。銕門てつもんの柱ふとやかにいかめしきは。いわでもしるき貴顕の住居すまい主人あるじきみといえるは。西南某藩それはんさむらいにして。
藪の鶯 (新字新仮名) / 三宅花圃(著)
仰げよ萬世一系の皇統、巍々ぎぎたる皇謨くわうぼは無限にす。ああ、八かう肇國てうこく青雲せいうんは頭上にある。
新頌 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
この庄の落城物語を歴史で読むと、巍々ぎぎたる丘山の上にでもあるかと思えば、これは九頭竜川くずりゅうがわの岸に構えられたる平城ひらじろ。昔は壮観であったに相違ないと思うが、今は見る影もない。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そのころから無縁坂の南側は岩崎のやしきであったが、まだ今のような巍々ぎぎたる土塀で囲ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、こけした石と石との間から、歯朶しだや杉菜が覗いていた。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
そのはるきたるごとに余に永遠希望の雅歌を歌いくれし比翼ひよくママ有する森林の親友も、その菊花かんばしき頃巍々ぎぎとして千秋にそびえ常に余に愛国の情を喚起せし芙蓉ふようの山も、余が愛するものの失せてより
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
今日きょうは殊にこの国に来たところの目的を達した訳ですから何となく喜びの感に堪えず、巍々ぎぎたる最高雪峰ゴーリサンガも一際ひときわ妙光を満空に放ち洋々として和楽するがごとくに見えて居ります。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
第二願、威徳巍々ぎぎ衆生を開暁かいぎょうするの願。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
数十間の楼台ろうだいを築き、さらに巍々ぎぎたる層々の五重が設計されてあり、総塗そうぬめ、大矢狭間おおやざまを開き、頂上の瓦は、悉く消金けしきんをもってるとある。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宮殿・楼閣・城砦じょうさい・公堂・会館の巍々ぎぎたるも、これをもって国民とはなさざるなり。けだし国民なるものは、いかなる国においても茅屋のうちに住するものなり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
武蔵野の一所多摩川に近く、「逃げ水の屋敷」と俗に呼ばれる、田沼主殿頭の野別荘が、全く落成して巍々ぎぎたる姿を、秋空の下に現わしたのは、数日後のことであった。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
竜動ロンドン巍々ぎぎたる大廈たいか石室せきしつなり、その市街に来往する肥馬軽車なり、公園の壮麗、寺院の宏大、これを作りてこれを維持するその費用の一部分は、遠く野蛮未開の国土より来りしものならん。
教育の目的 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
巍々ぎぎ千秋にそび
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
太師の徳望は、今や巍々ぎぎたるものですから、いにしえしゅんぎょうを受けたように、が舜の世を継いだように、太師がお立ちになれば、もう天下の人心は、自然、それにしたがうだろうと思います
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかれども石階巍々ぎぎとして聳抜しょうばつせるリギ鉄道に比すればやや嶮ならざるなり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
天下みな非とするもこれを疑わざる自信力、みずから造化の寵児ちょうじを以て任じ、天民の先覚を以て居る大抱負、その荘容そうよう森貌しんぼうにして、巍々ぎぎ堂々たる風丰ふうぼう、その古今に通じ天人を極めたる博学精識
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)