をんな)” の例文
そして神戸中検なかけん梅幸ばいかう奈良米ならよね、千代、国子……といつたやうなをんな達と一緒に自動車に乗つて、春先の京都を乗廻したといふ噂が立つた。
「岡場所のドラ猫見たいなをんなの頬ぺたを舐めるんぢやねえ、これでも佛樣だ。誰が笑ふものか、安心してやつて見な」
馬守真といへる金陵のをんなありき。
忘春詩集:02 忘春詩集 (新字旧仮名) / 室生犀星(著)
一寸見ちよつとみは贅沢なやうだが、精々二十銭やそこいらの金で、若いをんなの前に男の虚栄心を満足さす事が出来るなら、こんなやすい贅沢はない筈だ。
親仁の寅右衞門をめると外聞が惡いからせがれの言ふ通りに家へ泊つたことにしてあるが、あの晩は大方板橋のをんなのところへでも遊びに行つたんだらう。
博士は新聞を引手繰ひつたくるやうにして覗いて見た。新聞には博士が三味線を弾くをんなあとを追つて博多までくだつて往つた始末が詳しく載つてゐた。
平次は佐野喜のお神さんが、春の火事で燒け死んだをんな共のたゝりで自殺したといふ噂のあつたのを思ひ出しました。
をんなは薬師寺の吉祥天のやうに手の指を六本も持つてはゐなかつたが、それでも学者の心の臓を掴むには十分であつた。
「相手は何んだえ。圍ひ者か、お師匠ししやうか、それとも小料理屋のをんなか、——どうせ素人しろうとぢやあるめえ」
水木氏は大和にある仏の名前とをんなの顔とをみんな知り抜いてゐる程の物識ものしりである。手紙を読んだ一刹那、水木氏は
ところが主人の彌八は益々丈夫で、三人もをんなを燒き殺しても、蟲を踏み潰したほどにも思ひません。
新橋の老妓らうぎ桃太郎がその往時むかし雛妓おしやくとして初めて座敷へ突き出された時、所謂ねえさんなる者から、仮にもをんなの忘るまじき三箇条の心得を説き聞かされた。
當日をんな子供にやるにも困るからと言つて、小粒で十兩の金を借り受け、それつきり消えてしまつた男がある相です、三十兩の小判は皆んな贋物で、平久は十兩持つて行かれた上
銭形平次捕物控:274 贋金 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
青楼ちややへ遊びにゆく客といふものは、大抵見え坊で、内証ないしようはぴいぴいでも、懐中ふところには山をひ、やしきを購ひ、馬を購ひ、郵便切手を購ひ、おつりで若いをんな微笑わらひを購ふ位の財貨かね
大金の掛つてゐる十幾人のをんなに逃げ出されることをおそれ、納戸に入れて鍵をかけたばかりに、三人まで燒け死ぬやうな無慈悲なことをして、世間から鬼のやうに思はれてゐた佐野喜の彌八です。
少し前の事だが、Kといふ若い法学士が夜更けてある料理屋の門を出た。酒好きな上に酒よりも好きなをんなを相手に夕方から夜半よなか過ぎまで立続けに呷飲あふりつけたので、大分だいぶん酔つ払つてゐた。
(新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
「どんなをんな達だ」
少し前の事だが、Kといふ若い法学士が夜更けてある料理屋の門を出た。酒好きな上に酒よりも好きなをんなを相手に夕方から夜半よなか過ぎまで立続たてつゞけに呷飲あふりつけたので、大分だいぶん酔つ払つてゐた。
で、精々その好意に報いるつもりで、羊のやうな柔かな眼をしてをんなを見かへした。
座敷には美しいをんな幾人いくたりかが人形のやうにならんでゐたが、画家ゑかきはそのなかの一人をごのみして、頻りと杯のりをしてゐた。骨董屋は飯事まゝごとのやうなそのふりを見て、腹のなかで笑つてゐた。
大和やまと屋のをんな浜勇は、亡くなつた秋月桂太郎とい仲だつたが、いつだつたか秋月が病気の全快祝に、赤飯あかめしだけの工面はついたが、帛紗ふくさの持合せが無いので思案に余つて浜勇に相談した事があつた。
すると、をんなは急に厭な顔をした。そしてつとち上りざま