大菩薩だいぼさつ)” の例文
八幡大菩薩だいぼさつ、秀吉が存分のごとく候はば、弥〻いよいよ、互に申し承るべく候ふ事、右の趣き、一々輝元へ相達せらるべく候ふ事、肝要に候
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ある時のこと、毎日晨朝諸々じんちょうもろもろじょうり、六道に遊化ゆうげするという大菩薩だいぼさつが、この峰——今でいう大菩薩の峰——の上に一休みしたことがある。
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
国幣小社なる水無神社ですら、往時は一の宮八幡とも一の宮大明神とも言い、法師別当らの水無大菩薩だいぼさつなど申していつき奉った両部の跡であった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
三万余騎の軍をひっさげた武田信玄しんげんは、天龍てんりゅうのながれを渡って、大菩薩だいぼさつ浜名郡はまなごおり有玉村ありたまむら)より三方原みかたがはらにせまった。
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
とにかく鳩は、八幡大菩薩だいぼさつの第一の使者と信じられているので皆薄気味悪がって、早速、占いをたててみると
それは私が始め出立しゅったつの時分に立てた真実の目的はチベットにおいて充分仏教の修行しゅぎょうげ、少なくとも大菩薩だいぼさつになって日本に帰りたいという決心でありました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
右の端は秩父ちちぶ武甲山ぶこうさん大菩薩だいぼさつ、一度相模さがみ川の流路でたるんで、道志どうし丹沢たんざわから大山のとがった峰まで、雪が来たり雲がかかったり、四季時々の眺めには心をかるるものが多く
いやこゝでこそ、呑気のんきらしいことをいふものゝ、磊々らい/\たる巉巌ざんがん尖頂せんちやうぢて、大菩薩だいぼさつちひさなほこらの、たゞてのひらるばかり……といつたところで、人間にんげんのではない、毘沙門天びしやもんてんてのひらたまふ。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
今朝、野部のべを立った信玄の大兵は、天龍川をわたり大菩薩だいぼさつを経て、なおその行軍態勢をつづけながら、午下ひるさがりの頃、さいたにの前面へかかって来た。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その間に、左右の空に見た山をかぞえてみますと、源次郎岳げんじろうだけ大菩薩だいぼさつ鈴庫すずくら倉掛くらかけ乾徳山けんとくさん、みな一見識をもって、甲武のあいだに山脈をなしています。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
右の条々、もし偽りこれあるにおいては、日本国大小の神祇じんぎ、殊に八まん大菩薩だいぼさつ愛宕白山摩利支尊天あたごはくさんまりしそんてん、べつして氏神うぢがみの御罰、深重しんちようまかりかうむるべきもの也。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これから武蔵へかかる山境やまざかいは、姥子うばこ鳴滝なるたき大菩薩だいぼさつ小仏こぼとけ御岳みたけ、四やままた山を見るばかりの道である。すきな子供のむれに取りまかれることがいたってまれだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ことに、よほど急ぐ飛脚か、世間をかくれて渡る人間でもなければ、滅多に通らない甲州の裏街道——大菩薩だいぼさつから小丹波を越えるというのは、空身からみでも、女には、初めから無理な道なのである。
野槌の百 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
救世ぐせ観音大菩薩だいぼさつ
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八幡大菩薩だいぼさつ
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)