土耳其トルコ)” の例文
この女が最近土耳其トルコから帰つたばかしの男の友達と何処かで会つた。男は色々いろんな面白い旅行話を聞かせた後、指のふしをぽき/\鳴らしながら
するとちょうどそこへ、真赤な土耳其トルコ帽をかぶった、せぎすな大学生が一人、金釦きんボタンの制服に短い外套を引っかけて、勢いよく外からはいって来た。
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しかるにトルコでは、家豬ぶたの汚い臭いが馬を健にすという由(一五八一年版ブスベキウスの『土耳其トルコ行記』)。
自分達と前後して土耳其トルコから着いた外務省の留学生のなにがしさんは自分達が出立しゆつたつしたあとの部屋へとまられるつもりで、それ迄は隣の杉村医学士の部屋の長椅子で寝て居られた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
○「セント、プリースト」(千七百六十八年より千七百八十五年まで土耳其トルコ国に在留せし仏国の使節)
日耳曼ゲルマンとアングロサクソン、羅甸ラテンを代表する仏蘭西フランス、あるいは東洋の一部及び土耳其トルコ人も参加している。まだ範囲は広まるかも知れぬ。印度インドからマホメットにも飛火しそうになった。
吾人の文明運動 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
話し相手としては、兄よりも嫂の方が、代助に取ってはるかに興味がある。兄にうときっとどうだいと云う。以太利イタリーに地震があったじゃないかと云う。土耳其トルコの天子が廃されたじゃないかと云う。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いろいろのなまめかしい身の投げざまをした若い女たちの身体の線が如何にも柔く豊かに見えるのが、自分をして丁度、宮殿の敷瓦しきがわらの上につど土耳其トルコ美人のむれを描いたオリヤンタリストの油絵に対するような
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
土耳其トルコであつた話である。あすこの或る信心深い富豪かねもちが大病にかゝつて死にかけたので、一人息子を枕もとに呼んで、遺産の始末を細々こま/″\と話した。
土耳其トルコ人に聞けば伊太利イタリイが結局はまけると云ひ、伊太利イタリイ人に聞けば其れと反対な事を云つて居る。カイロまでいとまの無い旅客りよかくの為に埃及エヂプト土産を売る商店が幾軒もある。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
支那の区純おうじゅんちゅう人は槌で鼠を打ったという(一八六九年板、トザーの『土耳其トルコ高地探究記』二巻三三〇頁。『政事要略』七〇。『今昔物語』二〇の七。『捜神後記』下)
最後には土耳其トルコ人などもやった。そこで、欧羅巴ヨーロッパ人は、東洋人は非常に戦いを好み、しかして残忍無道なるものの如く思い、今までの歴史を見れば戦慄する如き恐怖心が起るのである。
平和事業の将来 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
土耳其トルコへ渡つて聖書の出版をしてゐるが、出版の合間々々には、お説教をして天国を説く事を仕事にしてゐる。
小アジアのユールーク人が熊や羚羊の飲んだ跡の水を文明人が飲むと自分らごとき蛮民になると信ずるごとく(一八九一年板、ガーネットの『土耳其トルコ女および風俗』二巻二一三頁)
墨西其メキシコ、モンテネグロ、和蘭オランダ波斯ペルシャ葡萄牙ポルトガル羅馬尼亜ルーマニア露西亜ロシア塞耳比亜セルビア暹羅シャム瑞典スウェーデン那威ノルウェー瑞西スイス土耳其トルコ勃牙利ブルガリアの二十六ヵ国の全権大使が会合して、国際的争議を解決するに
文明史上の一新紀元 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
その男は仏蘭西フランス政府の飛行免状を取つて居る巧者かうしやな飛行家であるが、伊太利イタリイ人でありなが土耳其トルコ軍へ数隻の飛行機を取次いで売つたと云ふので本国政府から仏蘭西フランス政府へ取押へ方を請求して来た。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
これは土耳其トルコ昔譚むかしばなしにある話だが、寺内総督が政権譲渡ゆづりわたしで大隈侯の撞木杖クラツチ周囲まはりをうろ/\したのなぞは、すつかりこれに似てゐる。土耳其人だつて馬鹿には出来ない。
塞耳維セルビア土耳其トルコ紛紜いきさつから、もしか戦争でもおつぱじまるやうだつたら、筆一本でやかましく主戦論を吹き立てた人達だけで、別に中隊を組織して、一番前線にそれを使ふ事にしたい