えい)” の例文
我らがこの句をえいじて感動するのは、その景色に感動するばかりでなく、芭蕉の心に感動するのである。たとえてみれば此処ここに一本の木がある。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
支那シナの文人などには、独酌の趣をえいじた作品が古くからあったようだが、此方こちらでは今でも普通の人は酒に相手をほしがる。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この地を過ぎて芭蕉ばしょうえいじたという「夏草やつはものどもが夢の跡」という句は、あるいは一番永く残るのかも知れぬ。
陸中雑記 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
貧乏を十七字に標榜ひょうぼうして、馬の糞、馬の尿いばりを得意気にえいずる発句ほっくと云うがある。芭蕉ばしょうが古池にかわずを飛び込ますと、蕪村ぶそんからかさかついで紅葉もみじを見に行く。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
山田やまだ読売新聞よみうりしんぶんへは大分だいぶ寄書きしよしてました、わたしは天にも地にもたゞ一度いちど頴才新誌えいさいしんしふのにやなぎえいじた七言絶句しちごんぜつくを出した事が有るが、其外そのほかにはなにも無い
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
宇宙万象の秋、人の心に食い込む秋思の傷みをえいつくして遺憾なく、かの芭蕉の名句「秋ふかきとなりは何をする人ぞ」と双壁そうへきし、蕪村俳句中の一名句である。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
「ながらへばとらたつやしのばれん、うしとみし年今はこひしき。」それをばあたかも我が身の上をえいじたもののように幾度いくたび繰返くりかえして聞かせるのであった。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ユウゴオが壮大なる史景をえいじて、台閣の風ある雄健の筆を振ひ、史乗逸話の上に叙情詩めいたる豊麗を与へたると並びて、ルコント・ドゥ・リイルは、伝説に、史蹟に、内部の精神を求めぬ。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
という其角きかく越人えつじん両吟りょうぎんは、親がまじないのためにわが子に他人という名を付ける風習をえいじたもので、この俗信は今でもまだ地方にはあとを留め
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
天明てんめい三年、蕪村臨終の直前にえいじた句で、彼の最後の絶筆となったものである。白々とした黎明れいめいの空気の中で、夢のように漂っている梅の気あいが感じられる。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
三更月下さんこうげっか入無我むがにいるとはこの至境をえいじたものさ。今の人は親切をしても自然をかいている。英吉利イギリスのナイスなどと自慢する行為も存外自覚心が張り切れそうになっている。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
赤羽橋あかばねばしの絶句に「南郭なんかく翁ヲおもフアリ悵然ちょうぜんトシテえいヲ成ス。」と題して「流水山前寒碧長。遺居何在草荒涼。一橋風月無人詠。漁唱商歌占夜涼。」〔流水山前寒碧長シ/遺居いずこニ在リヤ草荒涼タリ/一橋ノ風月人ノ詠ム無ク/漁唱商歌夜涼ヲ占ム〕
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
俳諧寺一茶はいかいじいっさの『方言雑集』の中にも、ちょうどあの人をえいじたような、一章の臼唄うすうたを書き留めている。
自己の感情をえいじたものだから抒情詩(これも抒情文としてもよろしい)と申したり。性格を描いたり、人生を写したりするんで、小説とか戯曲とかの部類に編入したり。
創作家の態度 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それが男の懐旧談を聴いてもらい泣きをしたという、しおらしい情愛をえいじたものと思われる。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
かようにして美的理想を自然物の関係で実現しようとするものは山水専門の画家になったり、天地の景物をえいずる事を好む支那詩人もしくは日本の俳句家のようなものになります。
文芸の哲学的基礎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ただ当時の余の心持をえいじたものとしてはすこぶる恰好かっこうである。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)