しょう)” の例文
去年の夏だ、八田潟はったがたね、あすこから宇木村うのきむらへ渡ッて、能登のと海浜かいひんしょうさぐろうと思って、うちを出たのが六月の、あれは十日……だったかな。
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
米子の滝のしょうかたりて、ここへ来しみちなる須坂より遠からずとおしえらる。滝の話は、かねても聞きしことなれど、往てんとおもう心切なり。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
朝鮮金剛のしょうに私たちは当面したのである。この渓谷のいさぎよくしてのどかな、またこの重畳ちょうじょうたる岩峭がんしょうの不壊力と重圧とは極めて蒼古そうこ墨画すみえ風の景情である。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
同級生は皆月の瀬のしょうを説いていたが、余は黙って、根岸庵小会の清興を心に繰返えしていた。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
彼長駆してけつを犯さば、何を以てこれふせがん、陛下惑いたもうなかれと。しょう錦衣獄きんいごくに下す。燕王きいおおいに怒る。孝孺の言、まことしかり、而して建文帝のじょう、亦あつしというべし。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ここに少憩して付近のしょうを探ぐり、はるかに左方春日山かすがやま城跡じょうせきおいで、曠世こうせいの英傑上杉輝虎てるとらの雄図をしのび、夕陽せきよう斜めに北海の怒濤どとうてらすの夕闇に、うしおりの物凄き響きをききつつ
三国時代の後漢ごかんの名臣、関羽かんうのただしい子孫にあたり、苗字みょうじかん、名をしょうといい、よく兵書を読み、武技にけ、黙々と、田舎警部いなかけいぶを勤めてはいますが、もし彼に地位と礼を与えるなら
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われにかちみかたにちててきにかつこれを武将の三しょうといふ
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
続いて、私たちの屋形船は屏風岩の岩壁にひたひたとふなべりを寄せた。朝鮮金剛のしょう以上の大観である。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)