伝通院でんずういん)” の例文
旧字:傳通院
伝通院でんずういんの境内を逃げ廻った揚句あげく、真夜中過ぎまで追いつ追われつ、とうとう、金杉水道町の袋路地へ追い込められてしまったのです。
私が、まだ十一二の時、私のいえ小石川こいしかわ武島町たけじまちょうにありました。そして小石川の伝通院でんずういんのそばにある、礫川れきせん学校がっこうへ通っていました。
納豆合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「……伝通院でんずういん前の易者に見ておもらいなすったらどうです。それはよく判りますよ。」お銀はまた易者のことを言い出した。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ある日私はまあうちだけでも探してみようかというそぞろごころから、散歩がてらに本郷台ほんごうだいを西へ下りて小石川こいしかわの坂を真直まっすぐ伝通院でんずういんの方へ上がりました。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
かすかに聞える伝通院でんずういん暮鐘ぼしょうに誘われて、ねぐらへ急ぐ夕鴉ゆうがらすの声が、彼処此処あちこちに聞えてやかましい。既にして日はパッタリ暮れる、四辺あたりはほの暗くなる。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
それと同じように、私の生れた小石川をば(少くとも私の心だけには)あくまで小石川らしく思わせ、他の町からこの一区域を差別させるものはあの伝通院でんずういんである。
伝通院 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これも早くから一癖ひとくせあったすえの弟の米三郎と二人して江戸へ乗出し、小石川は伝通院でんずういん前の伊勢長いせちょうといえばその頃の山の手切っての名代の質商伊勢屋長兵衛方へ奉公した。
ただただ焦れたかぶるのみにて御座候ござそろ、されば、若き身をとじこめ候おりより、今日ようやくのがれいだし、古い乳母のもとをたより、その者の手にて、小石川伝通院でんずういん裏の
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
伝通院でんずういんの裏を抜けて表町の坂をりながら路々考えた。どうしても小説だ。ただ小説に近いだけ何だか不自然である。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その蝙蝠冠兵衛ほどのしたたか者も、伝通院でんずういん前の成瀬屋に忍び込んだ時は、取返しのつかぬ失策をしてしまいました。
金剛寺坂の中腹には夜ごとわが先考せんこうの肩みに来りし久斎きゅうさいとよぶ按摩あんま住みたり。われかつて卑稿『伝通院でんずういん』と題するものつくりし折には、殊更に久を休につくりたり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
産れは八王子のずっと手前の、ある小さい町で、叔父おじ伝通院でんずういん前にかなりな鰹節屋かつぶしやを出していた。新吉は、ある日わざわざ汽車で乗り出して女のうま在所ざいしょへ身元調べに行った。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「旧弊はとくに卒業して迷信婆々ばばあさ。何でも月に二三べん伝通院でんずういん辺の何とか云う坊主の所へ相談に行く様子だ」
琴のそら音 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
遅塚麗水ちづかれいすい翁またかつてこのあたりに鄰をぼくせしことありと聞けり。正徳しょうとくのむかし太宰春台だざいしゅんだい伝通院でんずういん前にとばりを下せしは人の知る処。礫川こいしかわの地古来より文人遊息の処たりといふべし。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
「いえあの御顔色はただの御色では御座いません」と伝通院でんずういんの坊主を信仰するだけあって、うまく人相を見る。
琴のそら音 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
水田は氷川の森のふもとより伝通院でんずういん兆域のほとりに連り一流の細水潺々せんせんとしてその間を貫きたり。これ旧記にいふところの小石川の流にして今はわづかに窮巷の間を通ずる溝阬こうこうとなれり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
二人は伝通院でんずういんの裏手から植物園の通りをぐるりとまわってまた富坂とみざかの下へ出ました。散歩としては短い方ではありませんでしたが、そのあいだに話した事はきわめて少なかったのです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
伝通院でんずういん縁日えんにちで、からくりの画看板えかんばんに見る皿屋敷のおきくころし、乳母が読んで居る四谷怪談よつやかいだん絵草紙えぞうしなぞに、古井戸ばかりか、丁度其のそばにある朽ちかけた柳の老木おいきが、深い自然の約束となって
(新字新仮名) / 永井荷風(著)
約二十分の後、彼は安藤坂を上って、伝通院でんずういんの焼跡の前へ出た。大きな木が、左右からかぶさっている間を左りへ抜けて、平岡の家の傍まで来ると、板塀いたべいから例の如く灯がしていた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)