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伝通院
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でんずういん
ふりがな文庫
“
伝通院
(
でんずういん
)” の例文
旧字:
傳通院
伝通院
(
でんずういん
)
の境内を逃げ廻った
揚句
(
あげく
)
、真夜中過ぎまで追いつ追われつ、とうとう、金杉水道町の袋路地へ追い込められてしまったのです。
銭形平次捕物控:042 庚申横町
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
私が、まだ十一二の時、私の
家
(
いえ
)
は
小石川
(
こいしかわ
)
の
武島町
(
たけじまちょう
)
にありました。そして小石川の
伝通院
(
でんずういん
)
のそばにある、
礫川
(
れきせん
)
学校
(
がっこう
)
へ通っていました。
納豆合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
「……
伝通院
(
でんずういん
)
前の易者に見ておもらいなすったらどうです。それはよく判りますよ。」お銀はまた易者のことを言い出した。
黴
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
ある日私はまあ
宅
(
うち
)
だけでも探してみようかというそぞろ
心
(
ごころ
)
から、散歩がてらに
本郷台
(
ほんごうだい
)
を西へ下りて
小石川
(
こいしかわ
)
の坂を
真直
(
まっすぐ
)
に
伝通院
(
でんずういん
)
の方へ上がりました。
こころ
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
幽
(
かす
)
かに聞える
伝通院
(
でんずういん
)
の
暮鐘
(
ぼしょう
)
の
音
(
ね
)
に誘われて、
塒
(
ねぐら
)
へ急ぐ
夕鴉
(
ゆうがらす
)
の声が、
彼処此処
(
あちこち
)
に聞えて
喧
(
やか
)
ましい。既にして日はパッタリ暮れる、
四辺
(
あたり
)
はほの暗くなる。
浮雲
(新字新仮名)
/
二葉亭四迷
(著)
▼ もっと見る
それと同じように、私の生れた小石川をば(少くとも私の心だけには)あくまで小石川らしく思わせ、他の町からこの一区域を差別させるものはあの
伝通院
(
でんずういん
)
である。
伝通院
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
これも早くから
一癖
(
ひとくせ
)
あった
季
(
すえ
)
の弟の米三郎と二人して江戸へ乗出し、小石川は
伝通院
(
でんずういん
)
前の
伊勢長
(
いせちょう
)
といえばその頃の山の手切っての名代の質商伊勢屋長兵衛方へ奉公した。
淡島椿岳:――過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
ただただ焦れたかぶるのみにて
御座候
(
ござそろ
)
、されば、若き身をとじこめ候
檻
(
おり
)
より、今日ようやくのがれいだし、古い乳母のもとをたより、その者の手にて、小石川
伝通院
(
でんずういん
)
裏の
雪之丞変化
(新字新仮名)
/
三上於菟吉
(著)
伝通院
(
でんずういん
)
の裏を抜けて表町の坂を
下
(
お
)
りながら路々考えた。どうしても小説だ。ただ小説に近いだけ何だか不自然である。
趣味の遺伝
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
その蝙蝠冠兵衛ほどの
強
(
したた
)
か者も、
伝通院
(
でんずういん
)
前の成瀬屋に忍び込んだ時は、取返しのつかぬ失策をしてしまいました。
銭形平次捕物控:150 槍の折れ
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
金剛寺坂の中腹には夜ごとわが
先考
(
せんこう
)
の肩
揉
(
も
)
みに来りし
久斎
(
きゅうさい
)
とよぶ
按摩
(
あんま
)
住みたり。われかつて卑稿『
伝通院
(
でんずういん
)
』と題するものつくりし折には、殊更に久を休につくりたり。
礫川徜徉記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
産れは八王子のずっと手前の、ある小さい町で、
叔父
(
おじ
)
が
伝通院
(
でんずういん
)
前にかなりな
鰹節屋
(
かつぶしや
)
を出していた。新吉は、ある日わざわざ汽車で乗り出して女の
産
(
うま
)
れ
在所
(
ざいしょ
)
へ身元調べに行った。
新世帯
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
「旧弊はとくに卒業して迷信
婆々
(
ばばあ
)
さ。何でも月に二三
返
(
べん
)
は
伝通院
(
でんずういん
)
辺の何とか云う坊主の所へ相談に行く様子だ」
琴のそら音
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
遅塚麗水
(
ちづかれいすい
)
翁またかつてこのあたりに鄰を
卜
(
ぼく
)
せしことありと聞けり。
正徳
(
しょうとく
)
のむかし
太宰春台
(
だざいしゅんだい
)
の
伝通院
(
でんずういん
)
前に
帷
(
とばり
)
を下せしは人の知る処。
礫川
(
こいしかわ
)
の地古来より文人遊息の処たりといふべし。
礫川徜徉記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
「いえあの御顔色はただの御色では御座いません」と
伝通院
(
でんずういん
)
の坊主を信仰するだけあって、うまく人相を見る。
琴のそら音
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
水田は氷川の森のふもとより
伝通院
(
でんずういん
)
兆域のほとりに連り一流の細水
潺々
(
せんせん
)
としてその間を貫きたり。これ旧記にいふところの小石川の流にして今はわづかに窮巷の間を通ずる
溝阬
(
こうこう
)
となれり。
礫川徜徉記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
二人は
伝通院
(
でんずういん
)
の裏手から植物園の通りをぐるりと
廻
(
まわ
)
ってまた
富坂
(
とみざか
)
の下へ出ました。散歩としては短い方ではありませんでしたが、その
間
(
あいだ
)
に話した事は
極
(
きわ
)
めて少なかったのです。
こころ
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
伝通院
(
でんずういん
)
の
縁日
(
えんにち
)
で、からくりの
画看板
(
えかんばん
)
に見る皿屋敷のお
菊
(
きく
)
殺
(
ころ
)
し、乳母が読んで居る
四谷怪談
(
よつやかいだん
)
の
絵草紙
(
えぞうし
)
なぞに、古井戸ばかりか、丁度其の
傍
(
そば
)
にある朽ちかけた柳の
老木
(
おいき
)
が、深い自然の約束となって
狐
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
約二十分の後、彼は安藤坂を上って、
伝通院
(
でんずういん
)
の焼跡の前へ出た。大きな木が、左右から
被
(
かぶ
)
さっている間を左りへ抜けて、平岡の家の傍まで来ると、
板塀
(
いたべい
)
から例の如く灯が
射
(
さ
)
していた。
それから
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
“伝通院”の解説
伝通院(でんづういん)は、東京都文京区小石川三丁目の高台にある浄土宗の寺。正式名称は、無量山 伝通院 寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅきょうじ)。または小石川伝通院とも。徳川将軍家の菩提寺。江戸三十三箇所観音札所の第十二番札所。
(出典:Wikipedia)
伝
常用漢字
小4
部首:⼈
6画
通
常用漢字
小2
部首:⾡
10画
院
常用漢字
小3
部首:⾩
10画
“伝通院”で始まる語句
伝通院前
伝通院地内