“そうかい”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ソウカイ
語句割合
爽快66.7%
滄海13.1%
蒼海10.1%
藻絵2.0%
壮快2.0%
草芥2.0%
曾魁1.0%
睜開1.0%
桑海1.0%
鬆開1.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
しかも同一展望でも、仁田峠より更に約一千尺をのぼったこの絶頂からそれを眺める時、爽快そうかいの感情が加わること、いうまでもない。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
残怨日高ざんえんひだか夜嵐よあらしといったようなおもむきを、夜の滄海そうかいの上で、不意に見せられた時には、獰猛どうもうなる海女あまといえども、怖れをなして逃げ去るのは当然でしょう。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かけきしにいままへてもふがかなしき事義じぎりぬじようさまの御恩ごおん泰山たいざんたかきもものかずかはよしや蒼海そうかいたま
五月雨 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
この保胤に対しては親王も他の藻絵そうかいをのみ事とする詞客しかくに対するとはおのずから別様の待遇をなされたであろうが、それでも詩文の道にかけては御尋ねの出るのは自然の事で
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
壮快そうかいなる供養くよう チベット暦の一月十五日になりますと、チュンガ・チョッパ(十五日の供養くよう)というてなかなか盛んな供養会くようえが行われる。これは夜分やぶんの供養会であって昼は全くないのです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
すると趙雲はきょのごとき眼をして、張翼の卑怯を叱った。——知らずや汝、むかし長坂ちょうはんの戦に、曹軍八十万の兵を草芥そうかいのように蹴ちらし去ったのは誰であったか——と。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
油断ならぬことには——総領の曾塗そうと、二男の曾密そうみつ、三男の曾索そうさく、四男の曾魁そうかい、五男の曾昇そうしよう——これらがみな、なかなかの者でして、将来の栄達を誓い合い、いつかは梁山泊を攻めつぶし
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その曾頭市そうとうしは曾一家の勢力で私領化され、ほとんど全市一大要塞をなし、武術師範の史文恭しぶんきょうをかしらに、曾塗そうと蘇定そてい、曾密、曾索そうさく曾魁そうかいなどの一族でかためられ、じつに苦戦は苦戦だったが
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ト末の方はもはや命令的に、早口に能弁のうべんにまくし立てた。そのあとについて和尚は例の小さな円い眼に力を入れて睜開そうかいしながら
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
赤や紫の見える可笑おかしいほど華美はでではあるがしかしもう古びかえった馬鹿に大きくて厚い蒲団ふとんの上に、小さなまるい眼を出来るだけ睜開そうかいしてムンズと坐り込んでいた。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
今もじいの申した通り、この狭い洛中でさえ、桑海そうかいへん度々たびたびあった。世間一切の法はその通り絶えず生滅遷流せいめつせんりゅうして、刹那もじゅうすと申す事はない。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
此の如くにして蘭軒は或は侯の病を診し、或は侯のために書を講じた。蘭軒は平生よりこんを著くることを嫌つた。そして久しく侯の前にあつて、時に衣の鬆開そうかいしたのをさとらずにゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)