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ぎょうしょう
ふりがな文庫
“
驍将
(
ぎょうしょう
)” の例文
その中には、
虎痴
(
こち
)
許褚
(
きょちょ
)
をはじめとして、夏侯淵、徐晃、曹洪などの曹軍中の
驍将
(
ぎょうしょう
)
はことごとく出揃っている。馬超は、ぎょッとして
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
本当は信長の陣が十三段の備えの内十一段まで崩れたというから、木下秀吉、柴田勝家、森可成の
驍将
(
ぎょうしょう
)
達も一時は相当やられたらしい。
姉川合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
戦場
場数
(
ばかず
)
の豪の者、千軍万馬を往来した
驍将
(
ぎょうしょう
)
の鼻には、どことなく荒涼凄惨たる戦場の殺気を彷彿せしむべき或るものがあります。
鼻の表現
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
所在の南師、聞く者皆解体す。
此
(
この
)
戦
(
たたかい
)
、軍を全くして退く者、
徐輝祖
(
じょきそ
)
あるのみ。瞿能、平安等、
驍将
(
ぎょうしょう
)
無きにあらずと
雖
(
いえど
)
も、景隆凡器にして将材にあらず。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
未払いまた未払い、さきに教員を軽蔑していた役人どもは、そのうち幾人かは月給支払要求大会の
驍将
(
ぎょうしょう
)
となった。
端午節
(新字新仮名)
/
魯迅
(著)
▼ もっと見る
正岡子規を盟主とする根岸派(日本派)に対して、秋声会の隠然たる
驍将
(
ぎょうしょう
)
であった。
胡堂百話
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
多くの会社の重役を勤め事業界一方の
驍将
(
ぎょうしょう
)
として人に知られている相川
操一
(
そういち
)
氏の長男であって、大学法科の学生なのだが、彼の妹の
珠子
(
たまこ
)
などが「探偵さん」という
諢名
(
あだな
)
をつけていた通り
妖虫
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
なんといっても曹操は当代では異色ある
驍将
(
ぎょうしょう
)
です。ことに以前とちがって、彼の下には近ごろ有数な文官や武将が集まっています。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
甲戌
(
こうじゅつ
)
大
(
おおい
)
に
斉眉山
(
せいびざん
)
に戦う。
午
(
うま
)
より
酉
(
とり
)
に至りて、
勝負
(
しょうはい
)
相
(
あい
)
当
(
あた
)
り、燕の
驍将
(
ぎょうしょう
)
李斌
(
りひん
)
死す。燕
復
(
また
)
遂に
克
(
か
)
つ
能
(
あた
)
わず。南軍
再捷
(
さいしょう
)
して
振
(
ふる
)
い、燕は
陳文
(
ちんぶん
)
、
王真
(
おうしん
)
、
韓貴
(
かんき
)
、李斌等を失い、諸将皆
懼
(
おそ
)
る。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
しかも戦場では人におくれをとらない一方の
驍将
(
ぎょうしょう
)
として——今朝の今朝まで、彼との縁を、悔いたことなど、ただの一度もなかったのである。
日本名婦伝:細川ガラシヤ夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
争って
安
(
あん
)
を殺さんことを請う。安が
数々
(
しばしば
)
燕兵を破り、
驍将
(
ぎょうしょう
)
を
斬
(
き
)
る数人なりしを
以
(
もっ
)
てなり。燕王其の材勇を惜みて許さず。安に問いて曰く、
淝河
(
ひか
)
の
戦
(
たたかい
)
、公の馬
躓
(
つまず
)
かずんば、
何以
(
いか
)
に我を遇せしぞと。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
佐久間、池田、森などという織田の
驍将
(
ぎょうしょう
)
が指揮する四万余の兵にかこまれながら、なお景恒は、時々、余裕のある姿、顔を、城の
櫓
(
やぐら
)
に見せて
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その
器
(
うつわ
)
を用いて、
帷幕
(
いばく
)
の一員に加え、
股肱
(
ここう
)
の
驍将
(
ぎょうしょう
)
に列しるなど、信長としては、最大な待遇を与えて来たものである。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
驍将
(
ぎょうしょう
)
張球は、もっとも
壮
(
さかん
)
な軽兵五千をひっさげて、湖口より攻めかかり、背には沢山の投げ
炬火
(
たいまつ
)
を負わせて行った。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
藤吉郎は、姉川の合戦このかた、浅井、朝倉の抑えとして、もと浅井の
驍将
(
ぎょうしょう
)
大野木土佐守がこもっていた横山城にはいっていたので、当然、正月はそこに帰っていた。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
大野木土佐守
(
おおのぎとさのかみ
)
は、朝倉家のうちでも名だたる
驍将
(
ぎょうしょう
)
だ。その大野木勢に、野村肥後の精鋭が
扶
(
たす
)
けて
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その信長の
床几
(
しょうぎ
)
を
繞
(
めぐ
)
って、佐久間右衛門、武井
夕菴
(
せきあん
)
、明智十兵衛などの
驍将
(
ぎょうしょう
)
が、
頭
(
ず
)
を垂れて居ならんでいた。——ちょうど、親たちが息子に意見されてでもいるように。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それも
宿世
(
すくせ
)
の御縁でしょう。思うに、あなたは公卿にお生れあったのが御不運なので、われら同様、武門の子であったなら、怖らくは一方の
驍将
(
ぎょうしょう
)
として、晴れやかな御一生を
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そして伊勢に、北畠親房、河内和泉には、四条
隆資
(
たかすけ
)
と、それぞれの地に、それぞれな宮方の
驍将
(
ぎょうしょう
)
がたたかっている。あるいは、
四隣
(
しりん
)
の兵を
糾合
(
きゅうごう
)
して、次の地盤をつくりつつある。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかも今、その図に乗って、強襲してきたのは、曹軍の
驍将
(
ぎょうしょう
)
文聘
(
ぶんぺい
)
と
麾下
(
きか
)
の猛兵だった。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
小野
治郎右衛門
(
じろうえもん
)
が手塩にかけた門下中でも、前記の亀井、根来、伊藤などと共に、
皀莢坂
(
さいかちざか
)
の
驍将
(
ぎょうしょう
)
といわれている一人でもあるし、——小次郎がどんじき屋の障子に
不遜
(
ふそん
)
な文句を書いて
宮本武蔵:07 二天の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
六万の大兵に配するに、織田家の
驍将
(
ぎょうしょう
)
はほとんど
轡
(
くつわ
)
をならべたといっていい。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
野戦の
驍将
(
ぎょうしょう
)
も海には自信がなく、ふとためらいを抱いたのか、でなければ
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかし弱冠ながら彼も曹幕の一
驍将
(
ぎょうしょう
)
だ。そうむざむざとはあしらえない。
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“驍将”の意味
《名詞》
強く勇猛な大将。
(出典:Wiktionary)
驍
漢検1級
部首:⾺
22画
将
常用漢字
小6
部首:⼨
10画
“驍”で始まる語句
驍勇
驍名
驍騎
驍捷
驍勇無比
驍悍勁厲