落胤らくいん)” の例文
微賤びせんの一僧侶そうりよ吉宗ぬしの落胤らくいんと稱し政府せいふせまる事急にして其證跡しようせきも明かなれば天下の有司いうし彼に魅入みいれられ既にお世繼よつぎあふがんと爲たりしを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
日本人はまず、この人間が、地中海産か、新大陸生まれか、シベリヤの落胤らくいんか、よく見究めた上で動かなくてはならぬ。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
佐太夫とは歴々武士の落胤らくいん、道也とは名家釜師のなれの果て、其生立おひたちを聞けば彼も母一人此も母一人、彼は娼家に養はれ、此は遊蕩いうたうと呼ぶ嬭母はゝに養はる。
『えっ。ほんとですか』親しい学友でもあるし、うわさには、白河の落胤らくいんらしいともいわれている友の秘密だけに、盛遠は、興味をもって叔父へ問い返した。
アレキサンドルにせました人が相州東浦賀新井町の石井山三郎という廻船問屋で、名主役を勤めました人で、此の人は旗下はたもと落胤らくいんということを浦賀で聞きましたが
「そうだってことよ、あれあ慥かに将軍様の御落胤らくいんよ、ひとに饒舌しゃべっちゃあいけねえぜ、ごくないの話だからな、よしか、こんなことがわかったらおめえ文句なしに、これだあ」
長屋天一坊 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
これは家康の落胤らくいんだと言われた土井大炊頭どいおおいのかみの如きは、ある年、その居城、下総の古河こがへ帰った時、前年までは見る影もなかった農民の家が、今は目に立つようになって来たとあって
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「ナニ、それではイスラエルのお町は、頼宣公のご落胤らくいんか!」正雪仰天したらしい。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
徳川とくがわ八代の将軍吉宗よしむねの時代(享保きょうほう十四年)その落胤らくいんと名乗って源氏坊げんじぼう天一が出た。
備前天一坊 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
そして心の中で、どうか、これが真実の母子でなくってくれたら好い、何かしかるべき人が内証の落胤らくいんとでもいうのであったならば……というような空想を描いたことも事実であった。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
それは壽阿彌は水戸侯の落胤らくいんださうだと云ふのであつた。此巷説は保さんも母五百に聞いてゐる。伊澤の刀自も知つてゐる。當時の社會に於ては所謂公然の祕密の如きものであつたらしい。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
ただおひとりのお落胤らくいんにござります。
安く送らん事最々いと/\容易よういわざながら忠相ぬしつら/\かれを見るに貴介きかい公子こうし落胤らくいん似氣にげなく奸佞かんねい面に顯れ居ればこゝろゆるせぬ曲者くせものなりと夫が成立なりたちよりの事柄を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「待てど暮せど、いまだに、身の落胤らくいんの行方について、さらに手懸りがつかぬのはどうしたものじゃ」
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは家康の落胤らくいんだといわれた土井大炊頭どいおおいのかみの如きは、ある年、その居城、下総の古河に帰った時、前年までは見る影もなかった農民の家が、今は目に立つようになって来たとあって
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「どっちにしても似たようなものさ。なにしろあねごは落胤らくいんには見えねえ」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
探り看るに實に忠相ぬしが思ふに違はず腹黒はらくろにして品行ひんかう能らず天下の主個あるじと爲は更なり落胤らくいんとして所領しよりやうの少も宛行あておこなふて扶助ふじよする時は後に到りて徳川の爲に害を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「数年の間、身が落胤らくいんをたずねるために、国家老郷左衛門の手を通じて莫大なる手当を与えておいたに、汝は、それをよいことにして、むなしく、徒食しておったのであろう」
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
妖女ようじょ落胤らくいん
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)