種彦たねひこ)” の例文
『我楽多文庫』は第十号から京伝きょうでん馬琴種彦たねひこらの作者の印譜散らしの立派な表紙が付き、体裁も整った代りに幾分か市気を帯びて来た。
作のよしあしは別として好き、きらひ、贔屓、不贔屓はかまはないでせう。西鶴も贔屓でない、贔屓なのは京伝と、三馬、種彦たねひこなぞです。
いろ扱ひ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
豊国の弟子だったから、豊国の描いたものや、古い絵だの古本だの沢山あった。種彦たねひこがよこした下絵の草稿もどっさりあった。
私はもう芝居も知り草双紙にも親しんだが、かの間室から貰った草双紙の綴じたのの中に、種彦たねひこが書いた『女金平草紙おんなきんぴらぞうし』というのがあった。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
種彦たねひこの小説『田舎源氏いなかげんじ』の挿絵さしえならびにその錦絵にしきえは共に国貞の描く所にして今日こんにちなほ世人に喜ばる。『田舎源氏』は国貞が晩年の画風をうかがふべき好標本たり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
私の家は商家だったが、旧家だったため、草双紙、読本その他寛政かんせい天明てんめい通人つうじんたちの作ったもの、一九いっく京伝きょうでん三馬さんば馬琴ばきん種彦たねひこ烏亭焉馬うていえんばなどの本が沢山にあった。
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
種彦たねひこ合巻物ごうかんものを読んでいた親爺も、碁と将棋をちゃんぽんにやっていた親爺も、それの岡目をしていた親爺も、昼寝をしていた親爺も、そこに集まる親爺という親爺が
種彦たねひこの『用捨箱ようしゃばこ』巻上に、ある島国にていと暗き夜、鬼の遊行するとて戸外へ出でざる事あり。
京伝きょうでん種彦たねひこのいくつかの著述は先駆であって、同じ態度を一段と精透に、進めて行ったのが喜多村節信きたむらのぶよ、すなわち『嬉遊笑覧きゆうしょうらん』『画証録がしょうろく』『筠庭雑考いんていざっこう』などの著者である。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
わが曲亭、種彦たねひこなどに此流義ありて、外國にては、中古の物語類はいふも更なり、スモオレツト、フイヽルヂングなど此派に屬し、スコツト、ヂツケンスといへども間々これに近し。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
「又種彦たねひこの何か新版物が、出るさうでございますな。いづれ優美第一の、哀れつぽいものでございませう。あのじんの書くものは、種彦でなくては書けないと云ふ所があるやうで。」
戯作三昧 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
京伝きょうでん一九いっく春水しゅんすい種彦たねひこを始めとして、魯文ろぶん黙阿弥もくあみに至るまで、少くとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「また種彦たねひこの何か新版物が、出るそうでございますな。いずれ優美第一の、哀れっぽいものでございましょう。あのじんの書くものは、種彦でなくては書けないというところがあるようで。」
戯作三昧 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ツマリ当時の奇人連中は、京伝きょうでん馬琴ばきんの一面、下っては種彦たねひこというような人の、耽奇の趣味を体得した人であったので、観音堂の傍で耳の垢取あかとりをやろうというので、道具などを作った話もあります。
偐紫田舎源氏にせむらさきいなかげんじ』の版元はんもと通油町とおりあぶらちょう地本問屋じほんどんや鶴屋つるや主人あるじ喜右衛門きうえもんは先ほどから汐留しおどめ河岸通かしどおり行燈あんどうかけならべたある船宿ふなやどの二階に柳下亭種員りゅうかていたねかずと名乗った種彦たねひこ門下の若い戯作者げさくしゃと二人ぎり
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
徳川幕府の有司は京伝きょうでんを罰し、種彦たねひこ春水しゅんすいの罪を糾弾したが、西行と芭蕉の書のあまねく世に行われている事には更に注意するところがなかった。酷吏の眼光はサーチライトの如く鋭くなかったのだ。
冬日の窓 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
一同は種彦たねひこの語った最前の話に百年の憂苦を一朝いっちょうにして忘れ得た思い。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)