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やせがまん
ふりがな文庫
“
瘠我慢
(
やせがまん
)” の例文
瘠我慢
(
やせがまん
)
の
説
(
せつ
)
は、福沢先生が明治二十四年の冬頃に執筆せられ、これを
勝安芳
(
かつやすよし
)
、
榎本武揚
(
えのもとたけあき
)
の二氏に寄せてその意見を
徴
(
もと
)
められしものなり。
瘠我慢の説:01 序
(新字新仮名)
/
石河幹明
(著)
左の一篇は
木村芥舟翁
(
きむらかいしゅうおう
)
の
稿
(
こう
)
に
係
(
かか
)
り、
時事新報
(
じじしんぽう
)
に
掲載
(
けいさい
)
したるものなり。その文中、
瘠我慢
(
やせがまん
)
の
説
(
せつ
)
に
関係
(
かんけい
)
するものあるを以て、ここに
附記
(
ふき
)
す。
瘠我慢の説:05 福沢先生を憶う
(新字新仮名)
/
木村芥舟
(著)
兵乱のために人を殺し財を散ずるの
禍
(
わざわい
)
をば軽くしたりといえども、立国の要素たる
瘠我慢
(
やせがまん
)
の士風を
傷
(
そこな
)
うたるの
責
(
せめ
)
は
免
(
まぬ
)
かるべからず。
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
あらゆる
瘠我慢
(
やせがまん
)
の非力をふるって、最後にまで考えぬこうと決心した。そして結局、この書の内容の一部分を、鎌倉の一年間で書き終った。
詩の原理
(新字新仮名)
/
萩原朔太郎
(著)
すなわち昔のように
強
(
し
)
いて行い、無理にもなすという
瘠我慢
(
やせがまん
)
も圧迫も微弱になったため、一言にして云えば徳義上の評価がいつとなく推移したため
文芸と道徳
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
▼ もっと見る
瘠我慢
(
やせがまん
)
にいうのではない、自分は五十になって老いたりという気がしないのみか若いという気もしない、子供の時と特別に変ったようにも思われない
生前身後の事
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
交際
(
つきあ
)
えば悪びれた
幇間
(
ほうかん
)
になるか、
威丈高
(
いたけだか
)
な
虚勢
(
きょせい
)
を張るか、どっちか二つにきまっている。
瘠我慢
(
やせがまん
)
をしても
僻
(
ひが
)
みを立てて行くところに自分の本質はあるのだ。
金魚撩乱
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
私の今日の惨めな生活、
瘠我慢
(
やせがまん
)
、生の執着——それが彼の一滴の涙によって、たとえ一瞬間であろうと、私の存在が根柢から
覆
(
くつが
)
えされる絶望と自棄を感じないわけに行かなかった。
父の出郷
(新字新仮名)
/
葛西善蔵
(著)
これは些か
瘠我慢
(
やせがまん
)
が勝っているかも知れない。少くも例の快活な冗談口の一種には相違ない。だがそうした冗談口が
屡〻
(
しばしば
)
反語的に真相を明している実例をわれわれは既に十分見て来たはずだ。
チェーホフ序説:――一つの反措定として――
(新字新仮名)
/
神西清
(著)
その時は顔色も悪く、唯
瘠我慢
(
やせがまん
)
で押通しているような人であった。
家:02 (下)
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
すなわち俗にいう
瘠我慢
(
やせがまん
)
なれども、強弱
相対
(
あいたい
)
していやしくも弱者の地位を保つものは、
単
(
ひとえ
)
にこの瘠我慢に
依
(
よ
)
らざるはなし。
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
一月一日の時事新報に
瘠我慢
(
やせがまん
)
の
説
(
せつ
)
を
公
(
おおやけ
)
にするや、同十三日の国民新聞にこれに対する
評論
(
ひょうろん
)
を
掲
(
かか
)
げたり。
瘠我慢の説:04 瘠我慢の説に対する評論について
(新字新仮名)
/
石河幹明
(著)
漢学塾へ二年でも三年でも
通
(
かよ
)
った経験のある我々には
豪
(
えら
)
くもないのに豪そうな顔をしてみたり、性を
矯
(
た
)
めて
瘠我慢
(
やせがまん
)
を言い張って見たりする癖がよくあったものです。
文芸と道徳
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
夫
(
そ
)
れは
留蔵
(
とめぞう
)
ならんといえば、先生、それそれその
森田
(
もりた
)
留蔵……それより
談
(
だん
)
、新旧の事に及ぶうち、予
今朝
(
こんちょう
)
の時事新報に
出
(
いで
)
たる
瘠我慢
(
やせがまん
)
の
説
(
せつ
)
に対する
評論
(
ひょうろん
)
についてと題する一篇に
瘠我慢の説:05 福沢先生を憶う
(新字新仮名)
/
木村芥舟
(著)
然
(
しか
)
るに
爰
(
ここ
)
に
遺憾
(
いかん
)
なるは、我日本国において今を去ること二十余年、
王政維新
(
おうせいいしん
)
の
事
(
こと
)
起りて、その際不幸にもこの大切なる
瘠我慢
(
やせがまん
)
の一大義を害したることあり。
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
瘠我慢
(
やせがまん
)
一篇の
精神
(
せいしん
)
も
専
(
もっぱ
)
らここに
疑
(
うたがい
)
を存しあえてこれを後世の
輿論
(
よろん
)
に
質
(
ただ
)
さんとしたるものにして、この一点については
論者輩
(
ろんしゃはい
)
がいかに
千言万語
(
せんげんばんご
)
を
重
(
かさ
)
ぬるも
到底
(
とうてい
)
弁護
(
べんご
)
の
効
(
こう
)
はなかるべし。
瘠我慢の説:04 瘠我慢の説に対する評論について
(新字新仮名)
/
石河幹明
(著)
原さんにはこの答が断然たる決心のように受けとれたか、それとも、
瘠我慢
(
やせがまん
)
のつけ
景気
(
げいき
)
のごとく響いたか、その
辺
(
へん
)
は
確
(
しか
)
と分らないが、何しろこの
一言
(
いちごん
)
を聞いた原さんは、機嫌よく
坑夫
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
瘠
漢検1級
部首:⽧
15画
我
常用漢字
小6
部首:⼽
7画
慢
常用漢字
中学
部首:⼼
14画
“瘠我慢”で始まる語句
瘠我慢中
瘠我慢之説