朝鮮ちょうせん)” の例文
先ず明智小五郎の事務所へ使つかいを出したが、明智氏はある重大犯罪事件のために、朝鮮ちょうせんに出張中で、急に帰らないという返事であった。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ある夏の日、笠をかぶった僧が二人ふたり朝鮮ちょうせん平安南道へいあんなんどう竜岡郡りゅうこうぐん桐隅里とうぐうり田舎道いなかみちを歩いていた。この二人はただの雲水うんすいではない。
金将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
太子たいしが六さいときでした。はじめて朝鮮ちょうせんくにから、ほとけさまのおきょうをたくさん献上けんじょうしてまいりました。するとある太子たいしは、天子てんしさまのおまえへ出て
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
うわさの朝鮮征伐ちょうせんせいばつが、いよいよ事実となってあらわれた。加藤清正かとうきよまさ小西行長こにしゆきなが毛利輝元もうりてるもとらが、朝鮮ちょうせん北方ほっぽうさして、進軍しているうちに冬となった。
三両清兵衛と名馬朝月 (新字新仮名) / 安藤盛(著)
地質時代に朝鮮ちょうせんと陸続きになっていたころに入り込んでいた象やさいなどはたぶん気候の変化のために絶滅して今ではただ若干の化石を残している。
日本人の自然観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それは、朝鮮ちょうせんあめを売って歩く子だったのです。女の子は、いかにもほしそうに、店の品ものをながめていました。
水菓子屋の要吉 (新字新仮名) / 木内高音(著)
たとえば西洋各国相対あいたいし、日本と支那朝鮮ちょうせんと相接して、互に利害を異にするは勿論もちろん、日本国中において封建の時代に幕府を中央にいただいて三百藩を分つときは
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
それからまた山城やましろへひきかえして、筒木つつきというところへおいでになり、そこに住まっている朝鮮ちょうせん帰化人きかじん奴里能美ぬりのみという者のおうちへおとどまりになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
豊太閤ほうたいこう朝鮮ちょうせんを攻めてから、朝鮮と日本との間には往来が全く絶えていたのに、宗対馬守義智そうつしまのかみよしとし徳川とくがわ家のむねけてきもいりをして、慶長けいちょう九年のれに、松雲孫しょううんそん文※ぶんいく
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
あるとき、朝鮮ちょうせんうたが、わかおんなひとうたわれました。
クラリネットを吹く男 (新字新仮名) / 小川未明(著)
たとえば信州しんしゅうの山地にある若干の植物は満州まんしゅう朝鮮ちょうせんと共通であって、しかも本州の他のいずれの地にも見られないといったような事実があるそうである。
日本人の自然観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
これは確か、君が朝鮮ちょうせんから帰って来た頃の事だったろう。あの頃の僕は、いかにして妻の従弟から妻を引き離そうかと云う問題に、毎日頭を悩ましていた。
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そのたいそうな大船に押しまくられた大浪おおなみが、しまいには大きな、すさまじい大海嘯おおつなみとなって、これから皇后がご征伐になろうとする、今の朝鮮ちょうせんの一部分の新羅しらぎの国へ
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
「日本武士が朝鮮ちょうせんまできて、うえ死にしたとあってははじだ。きって出ろ」
三両清兵衛と名馬朝月 (新字新仮名) / 安藤盛(著)
それでこれらもすべて現在の確実な事実としての名だけを採る事にする。千島の分だけはいろいろの困難があるので除き、また台湾たいわん朝鮮ちょうせんも除く事とする。
火山の名について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
大唐もろこしの軍将、戦艦いくさぶね一百七十艘をひきいて白村江はくそんこう朝鮮ちょうせん忠清道ちゅうせいどう舒川県じょせんけん)に陣列つらなれり。戊申つちのえさる天智天皇てんちてんのうの二年秋八月二十七日)日本やまと船師ふないくさ、始めて至り、大唐の船師と合戦たたかう。日本やまと利あらずして退く。
金将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
題目は朝鮮ちょうせんの河川の流域変更に関するものだそうである。なるほど、新聞記事のどこにも、当人自身がその論文をよんだとはっきり書いてはなかったかもしれない。
錯覚数題 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
どちらかと言えば日本のように大陸の東側、大洋の西側の国は気候的に不利な条件にある。このことは朝鮮ちょうせん満州まんしゅうをそれと同緯度の西欧諸国と比べてみればわかると思う。
日本人の自然観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)