文帝ぶんてい)” の例文
しかるに南方なんぱう文帝ぶんてい元嘉げんか年中ねんちう京洛きやうらく婦女子ふぢよしみなこと/″\愁眉しうび泣粧きふしやう墮馬髻だばきつ折要歩せつえうほ齲齒笑うしせうをなし、貴賤きせん尊卑そんぴたがひおよばざるをはぢとせり。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
武帝の祖父・文帝ぶんていのとき、この四つのうち三つまでは廃せられたが、宮刑きゅうけいのみはそのまま残された。宮刑とはもちろん、男を男でなくする奇怪な刑罰である。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
古昔むかしそう文帝ぶんていころの中書學生に盧度世ろとせいと云者あり崔浩さいかうの事に坐し亡命にげ高陽かうやうの鄲羆の家に竄る官吏やくにんの子をとらへて之を掠治たゞす其子をいましめて曰君子は身を殺てじん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ええ、何んでも此処ここは、けら鉤闌こうらんの下に月に鳴く、文帝ぶんていちょうせられた甄夫人けんふじんが、のちにおとろえて幽閉されたと言うので、鎖阿甄あけんをとざす。とあって、それから
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そのあらゆる欠点にもかかわらず、この君がある限り、漢の天下は微動だもしない。高祖はしばらくくとするも、仁君じんくん文帝ぶんていも名君景帝けいていも、この君に比べれば、やはり小さい。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
ずゐ文帝ぶんてい宮中きうちうには、桃花たうくわよそほひあり。おもむき相似あひにたるものなりみないろてらちようりて、きみこゝろかたむけんとする所以ゆゑんあへ歎美たんびすべきにあらずといへども、しかれどもこゝろざし可憐也かれんなり
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)