扁額へんがく)” の例文
二つの扁額へんがく、(為山の水絵、不折の油絵)を見つむる事と、これらの中にやうやう苦痛の三、四時間を過ぎて、熱次第にさめかかる。
明治卅三年十月十五日記事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
凝った普請ふしんだが住み荒らした庵のうち、方来居と書いた藤田東湖ふじたとうこ扁額へんがくの下で、玄鶯院がお盆をかむって新太郎をあやしている。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
西岡未亡人の家にはそんなわけで、西岡医院開設当時に贈られた蒼海翁そうかいおうのあの雄勁ゆうけいな筆力を見せた大字の扁額へんがくを持ち伝えていた。
洋風の壁へかかっているのは、純日本風の扁額へんがくであった。墨痕淋漓匂うばかりに「紙鳶堂しえんどう」と三字書かれてあった。
柳営秘録かつえ蔵 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
久しぶりに大磯の「圓月荘えんげつそう」の扁額へんがくをかけた萱門かやもん戸摺石とずりいしの上に立った時、最初に、耳ばかりでなく、体全体に響き渡る様に聞えたのは波の音であった。
(新字新仮名) / 富田常雄(著)
城内の小池小路にあったその古びた建物は有備館と呼ばれ、著名な儒者である佐久間洞巌どうがんが、筆を取って対影楼の扁額へんがくをかかげた。四書五経が授けられた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
新富町しんとみちょうの焼けた竹葉ちくようの本店にはふすまから袋戸ふくろど扁額へんがくまでも寒月ずくめの寒月のというのが出来た位である。
そこは陳東海の居間とおぼしく、三十畳程の広々とした部屋で、床には油団ゆとんを敷詰め、壁には扁額へんがくや聯を掛け、一方の壁に寄せて物々しいまでに唐書とうしょを積上げてある。
果して建久の遺物であるか否を私には極めようもないが、へやには文久元年、萩園主人千浪という人が、祝大外河美濃守という建物の由来を書いた扁額へんがくがかけてあった。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
礼がおわると席についた。そこには饗宴のせきが設けてあった。殿上の扁額へんがくを見ると桂府けいふとしてあった。竇は恐縮してしまって何もいうことができなかった。王はいった。
蓮花公主 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
「大層お早いじゃ御座いませんか。」といいながら愛雀軒あいじゃくけんという扁額へんがくを掛けた庭の柴折戸しおりどを遠慮なく明けて入って来たのは柳下亭種員りゅうかていたねかず笠亭仙果りゅうていせんかと呼ぶ両人ふたりの門弟である。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
やっと、人心地がついた所で頭の上の扁額へんがくを見ると、それには、山神廟さんじんびょうと云う三字があった。
仙人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
道士一同はひょうとして去り、翌日、宋江は軍師呉用や朱武たちとはかって、忠義堂の扁額へんがくのほかに、こんどの一奇瑞きずいを記念して「断金亭だんきんてい」という大きな額をかかげることにした。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その肩の上にはからすが止まっている。この北国ほっこく神話の中の神のような人物は、宇宙の問題に思を潜めている。それでもまれには、あの荊の輪飾の下の扁額へんがくに目を注ぐことがあるだろう。
冬の王 (新字新仮名) / ハンス・ランド(著)
扁額へんがく海不揚波かいふやうはの四つの文字もじおごそかにしも年ふりにける
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
門楣もんび扁額へんがくは必ず腐木を用ゐ、しかして家の内は小細工したる机すずり土瓶どびん茶碗ちゃわんなどの俗野なる者を用ゐたらんが如し。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
カツテ手ヅカラ扁額へんがくヲ書シテ賜ハル。末ニ玉岡先生ニ呈スノ五字ヲ署ス。マタ栄トイフベシ。翁巧思アリ。ただニ金石ニ画ヲ刻スルノミナラズ。平生おぶル所ノ木剣茶籃ちゃかご皆ソノ手ニ成ル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)