にくし)” の例文
そんなにおにくしみの光子様をなぜまた連戻そうとなさいますね。馬車で公然と御迎えになりますれば、私は喜んであの方をお渡し申します。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あるいは、もしそれまでのおれがあの女を愛していなかったとしたら、あの日から己の心には新しいにくしみが生じたと云ってもまた差支さしつかえない。
袈裟と盛遠 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
にくしみも、怒りも、友情も、そして恋も、向い合ってぐ相手の心を読み取れるとしたら、世の中は、どう変貌するか、試みに考えて見て下さい。
しかもその恋は、あの破綻はたんの日以来、一層その熱度を増したかとさえ思われたのである。今や烈しき恋と、深いにくしみとは、一つのものであった。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
これではいけないとたとえ遠くからでも無理にも真佐子を眺めて敵愾心てきがいしんやら嫉妬やら、にくしみやらを絞り出すことによって、意力にバウンドをつけた。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
もう世の中の他のすべては、彼の頭から消え去った。国家も社会も法律も、父も母も妹も、恐怖も羞恥しゅうちも、愛も同情も。たゞ恐ろしいにくしみ丈が残った。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
文「ウーム、何処どこまで天道様は此の文治をおにくしみなさるか、これしきの雨、何程のことやある、それッ」
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
叔父を恐れないように成ってからの節子のひとみは、叔父に対する彼女の強いにくしみを語っているばかりでも無かった。どうかするとその瞳は微笑ほほえんでいることもあった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
にくしみを、満腔まんこうに忍んで、彼はやがて仇敵かたきどもがすすめる杯を、今夜も重ねねばならぬのだった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
老爺どのとんだおにくしみを受けたものだ。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
たゞ恐ろしいにくしだけが残つた。その憎みは、爆発薬のやうな烈しさが、彼の胸の裡を縦横にのたうつた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
柚木はみなしで栗の水っぽくぺちゃぺちゃな中身を聯想れんそうして苦笑したが、この頃みち子が自分ににくしみのようなものや、反感を持ちながら、妙に粘って来る態度が心にとまった。
老妓抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
雪之丞は、父親の、あの悲しみとにくしみとに燃えた、みじめな最後のすがたを思い出す。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
彼は、愛もにくしみも、乃至ないしまた性欲も忘れて、この象牙ぞうげの山のような、巨大な乳房ちぶさを見守った。そうして、驚嘆の余り、寝床の汗臭いにおいも忘れたのか、いつまでも凝固こりかたまったように動かなかった。
女体 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
過ぐる四五箇月の間、ある時は恐怖おそれをもって、ある時は強いにくしみをもって、ある時はまた親しみをもって叔父に対して来たような動揺した心の節子に比べると、その中には何となく別の節子が居た。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信一郎は、夫人の白々しい態度に、心の底まで、にくしみと憤怒ふんぬとで、煮え立っていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
けれどもこの人の、いまの静けさににくしみを返す人があろうか。この人のわたしをかばい通した永い年月を他所よそながら眺めてその人達もうらみをおさめて居るに相違あるまい。もういくたりのの父となって。
愛よ愛 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
快活な姉の輝子とも違い、平素ふだんから節子は口数も少い方の娘であるが、その節子の黙し勝ちに憂い沈んだ様子は彼女の無言の恐怖おそれ悲哀かなしみとを、どうかすると彼女の叔父に対する強いにくしみをさえ語った。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
恋かにくしみで押し通す女なのだが。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
みち子はそれ以後何故とも知らず、しきりに柚木ににくしみを持った。
老妓抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)